アルハザードの木乃伊 「さてと、どうしたものかな?」 インディオたちの伝説を編み込んだ極上の籐椅子に深深と、太った腰を下ろしたホルヘ村長は、ハバナ産の葉巻の煙を吐き出しながら毛深い腕を組み直した。 目の前の椅子と対になった籐の机の上には、黄ばんだ紙の束が、籐の衝立を吹き抜ける微風に揺れている。これらは五十年前…彼の祖父の時代のアルヘンチノスの村の共同墓地の埋葬許可証である。外は華氏百度の猛暑だと言うのに、村長室は共同墓地の洞窟と同じ、ひんやりとした影が降りている。 「どうもこうもありませんよ。誰が何と言ったって、次は『世紀の大魔導師、アルヘンザード』の番なんです!」 中国人入植者たちが持ちこんだ珍しい金魚が涼しげに泳ぎ回るいくつもの水槽を背に、村の保安官兼観光部長の「のっぽのミロード」が語気を荒げた。 「…毎年毎年、死後五十年経った新しい木乃伊を博物館で公開することは、この村の不文律になっています。わが国はもとより、遠くアメリカからも大勢の観光客がやって来るのは、ひとえに木乃伊を見たいからに他なりません。今年はアルヘンザードの死後五十年。 ノストラダムスほどではないにしろ、皆の期待は嫌が上にも高まっています。 …ほら、こんなふうにちゃんと、パンフレットも出来あがってるんですよ!」 わざわざメキシコシティーの印刷業者に発注したグラビアの紙には、政府軍の凶弾に倒れたパンチョ・ヴィラを、いったんは甦らせたと言う、聡明白皙な老人の写真が刷られている。 「だがなあ、奴は特別なんだ」 村長は幅の広い日除けが作る影の向こうの照り付ける陽差しに目をしばたたかせながら言った。 「何が特別なのですか? 土産物屋のサンチェスなんかは、もうアルヘンザードの人形をダンボール箱にいくつも作っているんですよ。 カルメンのところのホテルは、部屋を五つも増築したし…」 「分かった、もういい…」 ホルヘ村長はもみ消した葉巻をそのまま紫檀の葉巻入れに戻した。 「ビビるようなことは何もないんです。なるほど確かにアルヘンザードはこの村にいろんな伝説を残した。お年寄りの中には、彼の起こした魔法を目の当たりに見ていて畏怖の念を抱いている者も少なくない。なにしろ我がアルヘンチノスの村は、四百年前にスペインから渡ってきた大魔導師アルヘンザードが一夜のうちに井戸を掘り、畑を耕し、家並みを建てて出来た…と伝えられているのですからな」 「だからわしは、彼は特別で、彼を一般の村人と同じ見世物にするのは反対なのだがなあ」 「しかし、テレビの取材の依頼は十件以上も入っているし、彼の木乃伊の公開の日取りも決めてしまったのですよ。いまさらキャンセルすると、その損害は計り知れません」 のっぽのミロードは、真新しい電子手帳の液晶の画面を、村長に示した。 「う〜ん。然らばやむを得んか…」 ほどなくして、村役場の塗り直されたばかりの真っ白な掲示板には、 「木乃伊発掘の男手募集 日当一日百米弗。 募集人員四名」 と言う求人票が張り出された。 観光以外にこれと言った産業がまるでないアルヘンチノスの村人たちにとって百米弗というのは大金である。 ホルヘ村長も、保安官のミロードも、アッと言う間に応募者が殺到するとタカをくくっていたが、昼過ぎになっても、夕方になっても、日が落ちても、受付には誰も現れなかった。 「なぜだ? なぜ誰も申し込みにこないんだ?」 焦ったミロードは、通り掛かる子沢山の貧乏人の男を捕まえては、片っ端から理由を尋ねた。 「…勘弁してください保安官。他でもない、アルヘンザードの木乃伊だ。絶対に何かありますよ。たった百米弗ぽっちで祟られたりしたら、割に合いません」 「他の普通の木乃伊だったら、いつものように喜んで引き受けるんだが、あの魔導師はヤバい」 「わたしは迷信なんか信じていないから応募したいんだが、家族の者がやめてくれ、と猛反対するものだから…」 ミロードはすごすごと立ち去る男たちに向かって、舌打ちした。 翌日、報酬は百五十米弗に上がったものの、結果は同じく応募者ゼロ… 「こうなったら、役場の男子職員に命令すべきです」 「いや、それはダメだ。わしはもうあと一期、二期、続けて村長をやりたいのだ」 ハンモックで昼寝(シェスタ)を取る村長も、こればかりは首を縦に振ろうとしない… そうこうしているうちに、村で唯一ちゃんとした土産物屋の看板を掲げているサンチェス(他の者たちは皆、家の軒先に木箱を置いて、そこに手作りの木彫りの人形のキーホルダーとかを置いて、細々と商売をしているに過ぎない…)と、ホテルとは名ばかりの、崩れ掛けの煉瓦造りの旅籠を経営しているカルメンが怒鳴り込んできた。 「ホルヘ町長、まさか、まさかアルヘンザードの木乃伊の発掘と展示を、中止するつもりじゃあないだろうな?」 小柄なサンチェスは、安物のテキーラの臭いをプンプンさせながら、ハンモックを揺すった。 「それじゃあ困るんだよ!」 町長の倍くらいは太ったカルメン…こちらは手洗いの消臭剤みたいな香水の匂いを振り撒きつつミロードに食ってかかった。 「俺達は、『今年はあの、ちょっとは名の知れた大魔導士・アルヘンザードの木乃伊を発掘・展示する年だ』って言うから、土産物の材料を沢山仕入れたり、ホテルの部屋を建て増ししたりしたんだぜ」 (ふん。大声で言うほど金をかけたりしていないくせに) ミロードは二人が開けっ放しにしてきた古ぼけて手垢にまみれたラワン材のドアの向こうの、黄色く照り輝く未舗装道路に目をやった。 パン・アメリカン・ハイウェイの恩恵も、ここには遠く届かない。いまは風はなく、ゆらゆら揺れ続ける陽炎だけが四十マイル先の隣町、サン・エルサレムとを隔てている… その間にあるのは、無数の愛想のない緑色のトゲトゲしたサボテンだけだ。 実際、この地方にはサボテンだけは多かった。ただし、このへんのそれには毒があって、料理にも酒にも適さない… 「誰も『やらない』とは言ってませんぞ」 ホルヘ町長はあくびをかみ殺しながら、すっかり汗がしみこんで饐えた臭いのするタオルを頭からすっぽりとかぶった。 「…誰か勇気のある者が、共同墓地のある蝙蝠谷からアルヘンザードの木乃伊を発掘してきて、ちゃんと神父様の祝福を授け、町の木乃伊展示館に置いてくれるのなら、今日明日にでもできるのです」 「神父様だって?」 カルメンが素っ頓狂な声を上げた。 「…あのアルツハイマー病のアンドレアス神父の許可が要るの?」 「要るに決まっているだろう?」 サンチェスが代わりに答えた。 「…いままでだって、掘り出した木乃伊を見せ物にする際は、アンドレアス神父がちゃんと引導…じゃあなかった、祝福を授けてきたんだ」 「そんなこと知らなかったわ」 (おまえさんが知らなかっただけだ) ミロードは陽炎の彼方に、かすかに砂煙が上がるのを眺めつつ思った。 (…確かにアンドレアス神父は、いまでは日曜の御弥撒の言葉すら怪しい… だがまあ、我がアルヘンチノスただ一人の神父で、彼がいなくなると、次の日曜日からたちまち困ったことになるのだ) 「で、掘り出してくれば、神父様は必ず祝福を授けてくれるのか?」 どうやらサンチェスは、最悪の場合、自分で掘り出しに行く決心を固めた様子だった。 「そりぁあ分からんな」 町長はすげなく言った。 「…わしに言えることは、『わしの代になってから神父は木乃伊の祝福を断ったことは一度もない』と言うことだけだ。木乃伊のお陰で、祭りの日になると観光バスを仕立てて木乃伊オタクと言うか、げて物好きたちが、メキシコはもちろんアメリカからもどっと訪れて、一年間細々と喰って行けるだけの金を落として行くからな」 「…つまり、毎年死後五十年経った木乃伊を新しく展示し続けなければ、我々も木乃伊の仲間入りをしなければならない、と言うことだ」 ミロードは呟いたものの、その眼は未舗装道路の先っぽをじっと見つめていた。 砂煙はますます濃くなり、小さな赤い点がポツリと見える。 (車だ…) 仮に、目前に天使たちがお互い手をつなぎつつ輪を作って天上から舞い降りてきても、これほど疑ったり目をこすったりはしなかっただろう…いいや、別に彼らが信仰深い人間だから、と言う訳ではない。…むしろ、全くその逆。 町を真っ二つに突っ切る道を、真っ昼間に車がやって来ること自体が珍しかったのだ。 それはもちろん、アルヘンチノスにも車はないことはない。ただ、炎天下に走らせる者は一人もいない。アルヘンチノスにちゃんと冷えるエアコンの付いた車は一台もないからだ。 従って、彼方に見える車は、れっきとした「よそ者」の車、と言う仮説が成り立つ。 よそものの車はポルシェだった。時速百二十マイルはあろうかという猛スピードで目抜き通りへと突進してきた。 ホルヘ町長も、保安官のミロードも、サンチェスも、カルメンも、テレビや映画や雑誌のグラビアではない、本物のポルシェを見るのは生まれて初めてだった。 それも、関係者でないとすぐには手に入れられないような最新型… ミロード、サンチェス、カルメンは通りに出て、その車を手ひさしで出迎えた。ホルヘ町長も、地獄の蓋が開いたみたいな爆音に吊られて、思わずポーチへて歩み出た。 一同の誰もが、ポルシェが「このしょぼくれた町」を一瞬のうちに通り過ぎるものと信じて疑わなかった。 (きっとハワード・ヒューズみたいなどこかの奇特な大金持ちだ) みんながそう思った時、ポルシェは急ブレーキをかけ、ドリフトをかましつつ、ボリショイ・バレエ団のプリマドンナよろしくくるくるとスピンして、役場の前にピタリと止まった。 四人は名物の砂埃にむせ込んだが、黄色いカーテンの向こう側に降り立った人物は、ヒルトンのドア・ボーイに迎えられたように上品な身のこなしで歩み寄った。 「ここ、アルヘンチノスの町ですわよね?」 その完璧なスペイン語に、かすかに古いヨーロッパ訛りがあると気付いた者はいなかった。 「そうです」 町長がかろうじてそれだけ答えた。 「死後五十年たった木乃伊は、町の木乃伊博物館で公開すると言う?」 次第に砂煙が晴れて現れた姿を見て、彼らは開いた口が塞がらなくなった。 車の色と同じ、真紅のガルボ・ハット。同色の血の輝きを持ったシャネルのサマー・スーツ、木製のフェラガモのハイヒール。真っ黒な茄子形レンズのレイバンのサングラスを掛け、片手でソニーのハンディカムを弄んでいる二十歳前後の若い女性… 「そ、そうです…」 ホルヘ町長は思わず生唾をゴクリと飲み込んだ。 「私、CNNのアルテアと申します。近々今年行われるはずの『大魔導師アルヘンザードの木乃伊公開』取材の先遣隊として参りました。…ディレクターやカメラマンたちは、追ってマイクロバスで合流する予定です」 「ちょっ、ちょっと待って下さい…」 ミロードが電子手帳のスイッチを入れた。 「ああ、失礼、アポは取っていません。私自身とっても興味がある番組テーマだったので、有給休暇を頂いて、勝手に先に来たのです」 彼女は片手でひょいと眼鏡を取った。 ワスプではない、かすかに褐色を帯びた肌や、黒く大きな情熱的な瞳に、全員が同じルーツの完全な容姿としての好感を抱いた。 「アポなし? すると今夜のお泊りは?」 カルメンが揉み手しながら言った。 「もちろん…」 うずら卵ほどもあるダイヤのイヤリングを揺らせつつ笑みがこぼれる。 「…あなたのところに泊めて頂くわ」 「はあ… ははーっ」 それから突然、下へも置かぬもてなしが始まった。 町で一番涼しい町長室からは、前町長から引き継いだ年代もののハンモックが数十年ぶりに取り外され、五十年町で唯一の洗濯屋として働き、最近故郷へ帰って行った中国人一家が餞別として残した香が炊かれた。 カルメンとサンチェスは、自分たちが経営するホテルと土産物屋に飛んで帰り、ミロードは大切な客人を守る「有志の者」を募りに出かけた。こいつは「アルヘンザードの木乃伊掘り」と違って、アッと言う間に見つかるはずだった。 服は着ていたものの、往年のシルヴィア・クリステルよろしく深く原住民の伝説を編み込んだ町長の籐の椅子に腰を下ろしたアルテアは、しばらく飽きもせず五十年前の埋葬許可証の束を読んでいた。 「この追悼文を読むと、アルヘンザードは随分と偉大な魔法使いだったようね」 細巻きのセーラムをくゆらせながら、彼女はしみじみとつぶやいた。 「そりゃあもう、もちろん!」 ホルヘ町長はテキーラ・フラッペを掻き込みながら答える。 「…この近くに蝙蝠谷と称する古代オルメカ巨石文明の遺跡があって、木乃伊を作る地下墓地も、かつてはその遺跡の一部だった、と伝えられているのですよ。死体に、普通の防腐処理を施して、そこへ置いておくだけで、大した手間もいらずに、きれいな木乃伊になるって訳でして… アルヘンザードも遺跡やら、その辺のところがお目当てで旧大陸から渡ってきたそうです。 何もないところに一夜にして井戸を掘り、開墾地を開き、この町を築いたとか… さらに、墓地に予め祭ってあった木乃伊たちを全員甦らせて最初の住民にし、超古代の智慧を学んだ、と言われています」 「なるほど、確かに凄いわね」 「その後住民は、次々と入植して来たスペイン人との混血が進んで、いまではすっかりただの人ですが、伝説が真実、ということになると我々にもほんのちょっぴり古代オルメカの神官の血が流れているってことになります…」 「そう、それはとても夢のある話ね」 アルテアが足を組み直した拍子に、丈の短いサマースーツの裾の奥がちらりと見えたので、ホルヘ町長の三段顎が大きくゆるんだ。「…で、木乃伊を作る地下墓地と言うのは?」「町からすぐです。入り口までは四輪駆動車なら簡単に行けます。明日の朝一番に、わしやミロードが案内しますって」 「ありがとう」 「…入り口まではどうということはないのですが…」 「服装のことですか? 水着というのはまずいでしょうね」 「…いや、面白い冗談ですな。田舎に引っ込んでいると、冗談も滅多に聞かないもので」 町長はそう言って「ハッハッ」と笑った。 「冗談でしたら…」 彼女は一口二口しか吸っていないシガレットを、サンチェスが自分の家の裏庭で焼いたインチキ出土品の灰皿でもみ消した。 「…滞在中いくらでもお聞かせしましてよ」 その夜は、町じゅうをあげて、この都会からの賓客をもてなす宴が開かれた。 とっておきの牛や豚が屠られて丸焼きにされ、広場にバーベキューのテーブルや椅子が並べられ、色とりどりの電飾が飾られて、楽団がマリアッチを奏でて子供たちが走り回り、さながらカーニバルのようだった。 アルテアは次ぎから次ぎへと注がれる酒を苦もなく飲み干しながら、スポーツやら、車やら、ファッションやらの話題をよどみなく語り聞かせた。 町民一同は老若男女皆垢抜けた態度に感心し、 (これで我がアルヘンチノスも、数ある年一発ネタの田舎町から頭一つ飛びぬけて、アカプルコ並みのメジャーな観光地として発展するのではないか?) と真面目に思ったくらいだった。 宴がお開きになりかけた頃のことである。 花が咲いたようになっていたアルテアの席。 そこへ一人の優に百二十歳くらいになっていそうな、腰は海老の如く曲がり、長く白い顎髭が地面に届きそうな一人の神父が現れて、血走った目をカッと見開き、唇をわなわなと震わせた。 町長やミロードをはじめ一同が、この黒いカトリックの僧服に身を包んだ神父が、何か戦慄すべき発言、例えば… 「祟りじゃ! アルヘンザードの木乃伊を掘り出した者には祟りが下るであろう!」 とか、 「この町は遠からずして滅び、ゴースト・タウンになるであろう」 とかいった言葉を叫ぶような気がして、一瞬水を打ったように静まり返った。 …ところが、そのアンドレアス神父が語り出したことは、余りにも世俗的だった。 「みんなで楽しくお金儲けすることは、さぞや神も祝福され賜うことでしょうて」 目と鼻と口が完全に皺の中に埋没した恐ろしげな顔と、発言とがあまりにギャップがあったので、みんなは拍子抜けした。 ただ、座の中でアルテアだけが、眉一つ動かさなかった。 翌朝まだ暗いうちに、ミロードが愛車である中古のランドクルーザーで町長宅を訪ねると、ホルヘ町長は案の定パジャマ姿でベッドの中だった。 「町長、何やってるんですか? 約束は六時半でしょう?」 揺すって叩いて、相手はようやくうつろな瞳を開いた。 「アルテアさんに待ちぼうけを食わして嫌われてもいいんですか?」 その一言で、町長は跳ね起き、隣町で買ってきたB寸のサファリ・スーツに身を包んだ。「ところで…」 カルメンのホテルに向かう途中、昨晩のパーティの残り物のタコスをコーラで飲み下しつつ、町長はミロードに話し掛けた。 「…アルテアさんが下取材するついでに、アルヘンザードの木乃伊も運び出すんだったよな?」 「それがどうかしましたか?」 ミロードも彼女に悪い印象を与えまいとして、今朝から特別に安全運転を心がけていた。…車なんか滅多に走っていないから、事故の九割までが「自損事故」…普段はどのドライバーも「制限速度」のことなんか考えたことがないという土地柄である。 「だったら、アンドレアス神父も同行するんだろうな?」 「いいえ。あいにく、もはや、アンドレアス神父にあの地下墓地の急な階段は無理です。 木乃伊を掘り出してから、教会へ持って行って、そこでお祈りをして頂くという段取りになっています」 「死者の安らかな眠りを覚ますんだぞ。去年まで、棺の前で…」 「できなくなったものはしようがないです」 カルメンのホテルが近づいた時、クロノメーターが六時四十分を指 A玄関に至る車寄せに、黒いレオタードとピンクの腰帯に身を包んだ美女が立っているのをライトが捉えた。 「危ない!」 急ブレーキをかけたものの、明らかにはねてしまったタイミングだった。 ホルヘ町長とミロードが固く閉じた目を開くと、後部席にアルテアが乗り込んでいて、ハンディカムのチェックをしていた。 「ア、アルテアさん、いつの間に…」 ミロードはバックミラーに写った姿にうろたえる。 「さあ、早くアルヘンザードの木乃伊を見に行きましょう!」 彼女はホラー映画のナレーションよろしく声を低めたものだから、二人は思わず震えあがった。 「蝙蝠谷」はアルヘンチノスの町からおよそ十マイルほど山合いに入ったところの、岩山のはずれにあった。 岩壁一面砂塵が吹きつけて埃っぽくくすんでいるものの、そそり立つ絶壁を間近に見るのはやはり迫力がある。 ミロードは車を比較的平らな場所に止めた。 一面黄色い砂が分厚く降り積もっているものの、明らかに人の手が加わったなだらかな石畳が続いている。 「入り口は一つしかないんですよ」 ホルヘ町長は、ときどき砂に足をとられて転びそうになりながらも、大人一人が入れるくらいの壁龕になった場所に案内した。 奥の部分はかなり重たい石で閉じられている。アルテアは試しに押したり身体をぶつけてみたりしたが、びくとも動かなかった。 「あの車にウィンチか何かを付けて引っ張るんですよね?」 微笑みつつ二人の顔を代わる代わる眺めた彼女だったが、ホルヘ町長とミロード保安官は唖然とした表情で見詰め返した。 (そう言えば、車はここからずいぶん離れたところに止めてきた…) 「こんな大きな石の塊、大きなクレーンを持ってきても動かせませんよ」 と、町長。 「…古代オルメカの人々が、自分たちの永遠に安眠する場所に選んだところです。そんなに簡単に開くようでは、とっくの昔に盗掘者たちに根こそぎ荒されていただろうし、我々アルヘンチノスの住民一同も、墓地として選んだりしませんよ」 と、ミロード。 「ではどうやって…」 素早く秘密のスイッチを探したものの、そんなものはどこにも見当たらない。 「簡単なことです。中から開けてもらうんです」 ホルヘ町長は太鼓腹で腹鼓を打った。 「『中から…開けてもらう』?」 テレビ局の美人キャスターの眉が一瞬引き締まった。 「開閉スイッチは、内側にしかない、と言ったほうが分かり易いかも…」 「と、言うことは?」 「おお〜い! 聞こえるかあ?」 町長は、壁に口をくっつけんばかりにして、ありったけの声で叫んだ。 アルテアはすかさずビデオ・カメラを構えて写し始めた。 「…今年も、恒例の木乃伊祭りの日が近づいてきた! とにかく産業も何もない、貧乏な町だ、ってことは、死者の皆さんたちもよっくご存知でしょう? 年に一度、一週間ほどの木乃伊祭りの間だけが、世界各地から観光客がどっと押し寄せて、貴重な現金収入源になっていることも、改めて言うまでもないですよね? だって、貴方方も、生きていらした間は、そのほとんどを愛すべき故郷アルヘンチノスで暮らされたはずですからね」 砂嵐の風鳴りか、怒鳴り声の木霊か、岩の扉の向こう側から 「ウオオオ〜」 と、不気味極まりない音が響いた。 「…そこで、葬られて五十年目を迎える、大魔導師のアルヘンザードさん! 今年は貴方の晴れ舞台、貴方が主人公の年です! 町の木乃伊博物館の、展示室の真中に展示されて、観光客やテレビカメラの脚光を浴びます! きょうはまだ下見で来たのですが、目も醒めるような美人キャスターが同行しています。 どうか、ここを開けて下さい!」 言い終えた途端、あんなに重たかった岩の扉が、まるでB級映画のセットよろしくゴロゴロと音を立てて横開きに開いた。 「さあ、どうぞ!」 火を燈した松明を持ったミロードが先頭。 液晶画面を覗いたままのアルテアが真中、町長がしんがりを勤める… 「懐中電灯じゃないんですね?」 「このほうが酸素の薄い場所とかがよく分かるんですよ」 地下へと下る急な階段を降りながら、保安官は大きなコルト・ピースメーカーをバックルから抜き取ってカチリと安全装置を外した。 「拳銃が必要なのですか?」 「…いえ、これはただのお守り代わりでしてね」 洞窟内は、停電した真冬のニューヨークみたいに真っ暗で寒く、乾燥していた。 松明の炎の周りだけが暖かい… 長い下り階段を降りきり、これまた長い横穴を進んで突き当たると、小さな礼拝堂くらいのアーチ形の屋根を持った広間へと出た。 四方の壁には博物館の整理棚に似た木製の棚が天井まで等間隔で並んでいて、半分以上の棚に動かない人がたが置かれている。 「えーっと、アルヘンザード、アルヘンザードっと…」 ミロードは端のほうにいくつかもたせ掛けてあった梯子のうちの一つを取ると、壁に印された東西南北の記号と、数字を照らし合わせて、とある一角に立て掛けた。 「気をつけろよ!」 ホルヘ町長と、片手でカメラを構えたアルテアがもう片手で梯子の下を支える。ミロードは、ゆっくりと一歩一歩梯子の横木を登った。 「…ちゃんと木乃伊になっているか?」 町長は不安げに尋ねた。 「それが…」 ミロードの声の調子がおかしかった。 「どうかしたのか? もしかしてひどく痛んでいるのか?」 「いや」 「まだ完全な木乃伊になっていないのか?」 「いや…」 「はっきりしろ!」 「なくなっている」 「『なくなっている』って、何が?」 「アルヘンザードの木乃伊…と言うか、死体がないんだ」 「安置した場所を間違えたんじゃあないのか?」 「いいや、確かにこの一角に間違いない。去年貼り替えた護符が残っている。護符の模様は毎年変えるから…」 「盗掘者に盗まれたのでは?」 梯子の片方を支えていたアルテアが言った。「いいや、ここの木乃伊たちは代々の村長の呼びかけに応えてしか、岩の扉を開かない」 「ホルヘきさま、よもや欲に目がくらんで…」 梯子のてっぺんからミロードが下を振りかえって怒鳴った。 「め。滅相もない! わしは次の選挙にも立候補するつもりで、着々と準備を進めていたことはおまえが一番よく知っとるじゃろう。 不祥事があれば、責任を取らねばならんのはわしなんじゃぞ。もしもこっそりと木乃伊を売り飛ばしたのなら、木乃伊祭りの前に必ずバレる。…だったらそれ以前に、昨晩の歓迎パーティみたいな安くない選挙運動資金をつぎ込んだりすると思うか?」 「それは…」 ミロードは言葉に詰まった。 「もう一度、この安置室全体を探してみたらどうかしら? ネズミが食べたとかは考えられない?」 すごすごと降りてきたミロードに変わって、カメラを手にしたアルテアが梯子を登りながら言った。 「ここは水気がまったくないので、齧歯類はいません。まあ木乃伊にしてみれば最高の環境のはずで… 万一動物の仕業だとしても、彼等にとっては、新しいもののほうがおいしくて食べ甲斐もあるはずですし…」 三人は予備の梯子を駆使して、手早く木乃伊の棚を片っ端から調べていった。 年寄りの木乃伊あり、若くして事故か何かで亡くなった木乃伊あり、男の新しいものはみんな黒い背広姿だし、女性は華やかなドレス姿で、救い主が再び来る日を待ち望んでいる。 「古い木乃伊はありませんね?」 アルテアは一つ一つの記念の青銅の板に書かれた生没年の数字を液晶モニター越しに読みながら言った。 「死後五十年を経て、完全にミイラ化したものは、全部町の博物館に移して、観光のために一役買ってもらっています。…ちなみにアルヘンザードは、黒のフロックコートを着せて葬られた最後の一人で、来年封印を解かれる者からは全員背広です…」 ホルヘ町長は泣きそうな声になっていた。 「…今年封印を解いて公開する木乃伊はたった一体…五十年前の一年間に死んだのは一人だけだったんです。…それも大魔導師のアルヘンザード… パンフレットも刷ったし、あっちこっちに宣伝も頼んだというのに、わしは一体どうすれば…」 町長は頭を抱えて、数千年の歴史を経た、ひんやりと冷たい玄武岩の石畳の上に座り込んだ。 「人形は? アルヘンザードにソックリな人形を注文して、飾っておく、というのは?」 ミロードが早口で言った。 「…なあに、観光客で分かる者なんかいません、って」 「忘れたのか、今年は公開初日にメキシコ大学の調査チームが来て、流行りのDNA鑑定をすることを…」 「あー、そうか、そうでした…」 ミロードも長い黒髪を掻きむしった。 「正直に、みんなに本当のことを言うしかないわね」 アルテアは抑揚のない声でポツリとつぶやいた。 「そんな… 我々は破滅だ…」 「…でも、全部本当のことを言う必要はないと思うわ」 「えっ?」 「三人で、下見のために、けさ洞窟に入った時、アルヘンザードは確かに永久の眠りに就いていた。…しかし、己がさもしい見世物にされると理解した途端、突然生命を取り戻し、黒々とした瘴気とともに、開いていた出口から何処ともなく去り失せた…と、いうのはどうかしら?」 「なるほど、我々二人だけがそんなことを申し述べても信憑性が薄いけれども、アメリカから来られたテレビ・キャスターのあなたが一緒になって証言して下さったら…」 町長の 充血した眼に輝きが戻った。 「…もちろんそうして下さるでしょうな? 年に一度の木乃伊観光がなければ、町民一同が逃散して、本物のゴーストタウンになってしまいかねない可哀相な町なのです…」 「してもいいけれど…」 「おおっ!」 二人は大きく身を乗り出す… 「…こちらも、かなり辺鄙なところにあるあなたがたの町の祭りに取材や企画の白羽の矢を立てて予算を頂いた身… 多少は視聴率のアップに協力してくださるのであれば…」 「もちろん… もちろんそうさせていただきますとも!」 こうして、話はついた。 車に戻ろうと外へ出た時のこと。 出口の岩陰に一人の人影が見えたので、町長とミロードはギョッとした。 先ほどの計画は、真実の目撃者があれば水泡に帰してしまう… 「だ、誰だ?」 震える声で町長が問いただすと、小さな影はケタケタと骸骨みたいな笑いを発した。 「ホルヘよ、みんなで楽しくお金儲けをすることは、ほんに良いことよのう…」 影の正体はアンドレアス神父だった。 「何だ、誰かと思ったら神父様ですか? ここで何かご覧になりましたか?」 「いいや、何も見てはおらぬよ。ここは主が艱難に遭われた荒野と一緒で、何もないわい」 町長とミロードは肩を降ろしたものの、アルテアはジッと油断なく去って行く神父の後ろ姿をみつめていた。 「見られたかな、何もなかったことを」 保安官がポツリと漏らした。 「いいや、大丈夫だ。神父様があの階段を軽々と行き来できるはずはない…」 町長は選挙ポスターと同じ微笑みを浮かべた。 ミロードは、打ち合わせた通り、猛スピードのジグザグ運転で、クラクションを間欠的に何度も何度も激しく鳴らしながらアルヘンチノスの町に帰ってきた。 「何だ! 何だ?」 土産物屋のサンチェス、安ホテルの経営者のカルメン、それに五十数名の町の住民のほとんどが、それぞれの仕事をほっ放り出して目抜き通りに飛んで出た。 ミロードが白い煉瓦作りの町役場の前に急ブレーキでランドクルーザーを止めると、住民たちが一斉に走り寄ってきて遠巻きに取り囲んだ。 「町長、どうしたんだ?」 「一体何があったんだ?」 「皆の衆、驚かずに聞いてくれ!」 ホルヘ町長は四駆車のボンネットの上に仁王立ちに立ち、住民たちをぐるりと見渡しつつ声を張り上げた。 「アルヘンザードは…」 「アルヘンザードがどうかしたのか?」 「アルヘンザードは、我々三人の目前で、突然息を吹き返して、黒い瘴気を身に纏うようにして、何処へともなく飛び去った!」 「何だって!」 住民たちのあいだからごうごうと非難の声が上がった。 「それじゃあ今年の木乃伊祭りはどうなるんだ?」 土産物屋のサンチェスが、いきなりボンネットによじ登って、町長の襟首をねじ上げた。 「どうして… どうしてアルヘンザードの奴に、二・三発お見舞いしてやらなかったのさ! そのピストルはただの飾り物かい?」 カルメンも女子プロレスのトップ・ヒールも顔負けの物凄い形相でミロードをさば折りにして締め上げた。 「は、墓場から逃走したくらいでは、共和国の法律には触れんのだ…」 「そこのアメリカのテレビ局の姉ちゃん! アルヘンザードが黒い煙となって逃走する決定的瞬間は写せなかったのかい?」 「もちろんビデオ・カメラは回し続けていたわ。…職業的本能、と言うやつね」 ホルヘ町長とミロードは開いた口が塞がらなかった。 …なるほど、洞窟探検と、アルヘンザードの安置場所がもぬけの空だったくだりは、最新式の高感度カメラがちゃんととらえているだろう。しかし、アルヘンザードが黒い霧となって〜 という肝心のシーンはもとよりあるはずがない。 「す、すると、アルヘンザードめが、魔法を使って逃げ去る場面は、ちゃんと写っている…」 蜂の巣をつついたみたいだった住民たちが、急に葬列みたいに静まり返った。 「わたしは生まれてこのかた撮影ミスしたことはないの。子供の頃に買ってもらった青写真からずっとね」 「じゃあ早速再生してみようじゃないか。町長室のビデオ・デッキで!」 町長室には立錐の余地がないくらいの住民が入り込んで、商用で実際に行って来た者の証言によると「グァテマラなみの暑さ」になった。部屋の隅には例の中国人のクリーニング屋一家が「寄贈」していったVHSと8ミリ兼用のビデオ・デッキと、ソニーの大画面テレビが置いてあった。 アルテアのカメラは最新式の超高感度の8ミリ・ビデオだったから、再生可能と言うことで、一同ほっと胸をなで下ろした。 映像は至極きれいに、手ぶれもなく撮れていた。 ミロードの4WD車がガタゴト道を蝙蝠谷に向かって進むところ… 谷への到着。ホルヘ村長が、村長としての権威と威厳を持って扉に向かって呼びかけているところ… 「おい、どうしてアルテアさんが写ってないんだい?」 土産物屋のサンチェスが素っ頓狂な声を上げた。「…テレビのリポート番組だったら、美人が案内するはずだ」 「あんたは莫迦かい?」 ホテル経営のカルメンがサンチェスの頭をしばいた。「…アルテアさんがカメラを持って写しているんだよ。鏡でもない限り、自分の姿を写すことなんか不可能さ!」 やがて一行は、長い下り階段を降りて行く… やがて木乃伊を並べて安置した蚕棚のある広間に到着した。 「おお、木乃伊の洞窟の中はこんなふうになっているのか!」 「地元に住んでいるけれど、こうして中を見るのは初めてだわ」 地元の若い男女が、まるでピラミッドの探検番組でも見ているような調子で呟いた。 「…よく言うよ、あれだけ『蝙蝠の糞の掃除をするのに手を貸してくれ』と頼んだ時は、居留守や仮病を使って手伝ってくれなかったくせに…」 こぼすミロードだったが、だんだんと不安になってきた。言うまでもなく、この先に「アルヘンザードの木乃伊が逃走する」シーンが、あるはずがないからだ。 …いや、それどころか、木乃伊は最初から影も形もなかったのだ。 梯子を登る自分自身の姿が映っている… (もうダメだ!) ホルヘ町長の顔も蒼白… 二人で土下座して謝ろうとした時、不思議なことが起きた。 ビデオ・テープが、一瞬だけ、編集が加わったかのように飛んで、アルテアが梯子を登っていくシーンになった。 (確かにあの時、彼女も梯子を登ったけれど、木乃伊がないのは同じこと… この後カラッポの棚が写されるだけだ…) 思わず目を閉じた村長とミロードだったが、住民の「おー」という声に、ブラウン管を見た。 そこには、紛うことなき黒いフロック・コートに、シルクハットをかぶった、長身痩躯、白皙にして狷介そうな顔立ちのアルヘンザードの木乃伊が眠っていた。 と、レンズが彼のムーア系の獅子鼻を撫でた瞬間、「世紀の大魔導士」はぱちりと、固く閉じていた両の目を見開いた。 邪心に輝く黒い瞳… 女性の見物客から「キャーッ!」と悲鳴が上がった。 「おかしいな、こんなシーンあったか?」 ホルヘ町長はそっとミロードの小耳に囁いた。 「シッ! 相手は視聴率のためなら何でもするアメリカのテレビ局の回し者です。きっといい絵が撮れなかった時のために、前もって造ってあった映像を用意していたのに違いありません」 「そうか… いわゆる『事実を元に再現した映像』と言うやつだな」 アルヘンザードの木乃伊は、木乃伊としては五十年といういささかセコい眠りから醒めて、むっくりと起きあがった。 カメラは梯子を数段引いたものの、冷静に彼の姿を捉え続けている。 アルヘンザードは、カメラをキッと睨んだかと思うと突然その全身が黒い瘴気に覆われた。 ビデオを見ていた人々は誰かのさらなる悲鳴をきっかけにしてパニックに陥り、我先にと扉から転がり出て行った。 後には町長とミロード、アルテアにサンチェス、カルメンといった面々だけが残された。「…で結局アルヘンザードのミイラはどっかへ飛んで行っちゃったんですねぇ」 サンチェスは溜息まじりに言った。 「木乃伊祭りが開けないことに変わりはないんだわ…」 肩を落としたカルメンは、椅子から立ち上がれないでいた。 「…どっちみち我々は破産だ… いまのビデオを見た町民が電話で親戚や友人に喋りまくれば、もう誰もこの町に寄り付かなくなるかも…」 ホルヘ町長は、ジッと葉巻入れに目を落としたまま、散らかった書類を拾おうともしない… 「皆さん、諦めるのはまだ早いですわ」 アルテアはすっくと立ち上がって言った。 「しかしもう目玉はないんだぞ」 ミロードはビデオのスイッチを止めながらつぶやいた。 「…確かにアルヘンザードの木乃伊はどこにもない。彼ほどの大魔導師がそう簡単に見世物にされてしまう筈がありませんから、これは充分に予想された妥当な成り行きでしょう。…が、しかし、アルヘンザードの木乃伊が直前まで洞窟にあって、いまもこのアルヘンチノスの町の近辺をさまよっている…かも知れないと言う可能性は、いまのビデオをご覧になった町の人々の脳裏にくっきりと焼き付いていることと思います」 「だったらどうだ、と言うのだね? 観光客たちは恐怖に怯える住民を見に来るんじゃあないんだよ」 「…ここにいる誰かが、アルヘンザードとそっくり同じ格好をして、時々町のどこかを、わざとチラリと人目につくようにしてうろうろする、と言うのはどうかしら? ガラスの箱に納まった、ピクリとも動かないものよりか、ずっとエキサイティングだと思うけれど」 町長とミロード、サンチェスとカルメンは互いに顔を見合わせた。 「そうか… ミステリー・サークルの町も、ビッグ・フットの町も、それで観光客や取材人を呼び寄せた、って言う噂だしな」 「我々が真似をして悪い法はない…」 「しかしだよ、一体誰が甦ったアルヘンザードに扮するんだい?」 全員の視線がミロードに集まった。 「ミロード君、ここは一つアルヘンチノスの町のみんなのために一肌脱いではくれまいか?」 「わ、私がですか?」 保安官の顔から血の気が引いた。 「頼む。俺の土産物屋の存亡に関わるんだ」 「あたしのホテルもよ!」 「わしからも頼む。町の人々の財産を守るためだ。…それに、ずっとアルヘンザードに成りきっていなくてもいいんだ。一日数回、合計一時間…いや、三十分でいい!」 こうして話は決まった。 アンドレアス神父の教会から、救世軍にと寄贈された古着の中から、年代物のフロック・コートとシルク・ハットが引きずり出され、埃ははたかれないままミロードに着付けされた。 「昼間はまずいかも知れないわ。いくら変装扮装しても、明るくて近い距離だと見破られるかも…」 アルテアの意見で、大魔導師が出現するのは夜だけにしよう、ということになった。 その晩… 町でただ一軒の、居酒屋兼安食堂では、近くの農業従事者や、簡易水道を敷きに来ている出稼ぎの職人たちが、ビールを飲み、タコスに舌鼓を打ちながら、昼間の「怪ビデオ」の話に花を咲かせていた。 「…あれはやっぱり『やらせ』だっただろうなあ」 「ああいう映像を作らせたら、ハリウッドの連中の右に出る者はいねえからな」 「木乃伊以外に、観光資源も、これと言った産業も何もないから、町長たちも必死がかかってるんだろう」 「…すると、今晩あたり木乃伊か怪物の着ぐるみを着たアルバイトが、バアーッと現れるかな?」 千鳥足でふらつきつつ、宿舎にしている何台かのオート・モービルへと向かった。 「おやすみ」 「おやすみ」 皆と分かれた、一同の中で最も気の小さい男が、ふとキャンピングカーの屋根を見上げると、そこには… 乾いた熱い夜風に裾の擦り切れたフロック・コートの端をなびかせ、シルクハットをかぶった長身の男の影が… 「ほら出た… お〜い、あんた。時給いくらでやってんの? 夜も遅いし、十米ドルくらいかな?」 甦ったアルヘンザードの木乃伊に扮していたミロードは、少なからずショックを覚えた。(なぜだ? 昼間ビデオを見た時には、あんなに驚いて逃げ惑ってくれたのに…) そこで彼は、フロック・コートの襟を立てて隠した携帯電話に向かって囁いた。 「全然びっくりしてもくれないし、逃げてもくれないぞ。どうしよう?」 「じっと突っ立っているだけではアルバイト丸出しでしょ?」 電話の向こうからアルテアの低い抑揚のない指示が聞こえてきた。 そこで保安官は、心ならずも持ち前の足の長さと運動神経を利用して、キャンピングカーの屋根から屋根へと飛び移って見せた。 衝撃と物音で、すでに眠っていた職人たちも寝ぼけまなこで車から出てきた。 …銃を持っている者は、安全装置を外して構えながら… 「何だ? 何者だ? 泥棒か?」 「お〜い、みんな撃つな! アルヘンザードの木乃伊のアトラクションに雇われた二流のスタントマンだ…」 相手が手に手にライフルやショットガンを持っていたので、ミロードは腰砕けになった。「連中… 銃を…」 「大魔導師アルヘンザードが、どうして銃くらいでビビったりするのよ?」 「オレはアルヘンザードじゃない! …だから、最初は女、子供くらいにしたほうがいい、って言ったんだ」 「深夜女性の寝室を覗き込んだり忍び込んだりしたら、犯罪になるでしょう? あなた保安官なのに何を考えているの?」 そう言い捨てて携帯は無情にも切れた。 「どうせアルバイトだったら、一発脅かしてやろうぜ。ライフルを持ってるヤツがいい。…当てるなよ!」 ショットガンの男が言った。 「よっしゃ、分かった」 バーン、バーン… 棕櫚の葉が銃声に震え、弾丸がミロードの耳元をかすめた。 「おのれ、下手に出たらつけ上がって!」 ミロードがポケットに目張りを入れて携行していたコルトを取り出して構えかけた手をちょうどその時のこと… かさかさに乾いた何者かの手が、彼の右手を軽く、しかし梃子みたいな強力な力でつかんだ。 「邪魔するな! こっちも脅かしてやるだけだ」 さっと振りかえったすぐ先には、手よりもカサカサに干からびたムーア系の浅黒い顔が浮かんでいた。 「わが子よ…」 ミロードよりもさらに五インチは背が高いその男は、植民地時代よりもなお古い訛りのあるスペイン語で囁いた。 「あなた、誰です?」 「心配ない。祭りを成功させに来た者じゃ」 「と言うことは…」 保安官は冷や汗の上にさらなる冷や汗をかき、不覚にもへなへなと腰を抜かした。 「観光客を大勢呼びたくはないのか?」 「呼びたいです」 「じゃあちゃんとしっかりと立つのじゃ。立って何でもいいから適当に見栄を切って魔法を放つかの如き格好をせよ」 ミロードは言われた通り、日曜日の夕方に放送している日本製の特撮活劇のヒーローを真似たでたらめなポーズを取った。 …するとどうだろう、にわかに地中から触手のような、使者たちの腕のようなものがボコボコと湧いて現れて、面白半分に銃を弄んでいた者たちの足首をつかんで、次々に地の底に引きずり込もうとした。 「ギャーッ!」という悲鳴がそこここで起こり、首まで地中に引きずり込まれた男たちの姿が見えた。 「あ、あの… 殺しちゃまずいですよ。FBIや軍隊が出てきます」 「ふっ、軍隊…」 かさかさに干からびた老人は、大きな獅子鼻を軽く揺すった。 「…軍隊如きの何を恐れる? わしは不滅の肉体を持つ大魔導師ぞ…」 「あなたの知っている軍隊は、せいぜい戦車に飛行機くらいを装備した軍隊でしょう? いまや中性子爆弾に、反射衛星砲、衛星追跡システムに小型核弾頭… いくらあなたと言えども相当ヤバいですよ」 「そうか…」 老人が目配せすると、男たちをいましめていたものたちは、するすると地中に去った。 ミロードが振り返ると、そこにもう怪しい老人の姿はなかった。 翌朝、アルヘンチノスの村はミステリー・サークルが出現した村以上に、蜂の巣を突ついたような騒ぎになっていた。 「大魔導師アルヘンザードの木乃伊は、生き返っていて、スペインにも、アラビアにも戻ってはおらず、まだこのアルヘンチノスの町近辺をさまよっている…らしい」…という噂が近郷近在を取り巻いていた。 「ミロード君、実に上手に脅かしてくれたようだな。恩に着るよ」 ホルヘ町長はほくほくの恵比寿顔で言った。「…二流の写真週刊誌や、ゴシップ専門の夕刊新聞、それに怪奇心霊現象を扱う雑誌などから、早速『滞在取材』の引き合いが来ておるよ。さらに木乃伊祭りのツアーだって…」「良かったですね」 いつものジーンズとデニムの上着姿に戻った保安官は浮かない顔で相槌を打った。 「どうした? 昨夜頑張ったので疲れたのか?」 「いいえ。そういう訳では…」 「今夜も頼むよ、適当に… サンチェスも、カルメンも『これで例年なみの収入が得られる』といたく喜んでおった…」 「町長…」 ミロードは眉間に皺を寄せて、町長の顔を覗き見た。 「…オート・モービルで滞在していたよそ者の職人たちを脅かしたのはわたしじゃあありません。本物の、甦ったアルヘンザードの木乃伊です。 だから、わたしはもう今夜から奴に扮装する必要はないと思います」 「何だって!」 「何ですって!」 町長と、町長の机でこれからやって来る各種の取材陣のスケジュールの調整をやっていたアルテアが異口同音に叫んだ。 「まさか…」 「いいえ、真実です。銃で武装した大の男たちをあそこまで脅かすのは、本物の大魔導師でなければ無理です。奴は怒ってみんなを殺そうとしましたが、わたしが説得して何とか止めさせたのです」 「そこまで言う以上、本当の話ね」 気がつくとアルテアの黒い瞳が、保安官の眼をじっと見詰めていた。 「わたしだって危ないところだったんです。うっかり奴の機嫌を損じたりしたら、それこそ何をされるか分かったものではありません」「ミロードさん…」 アルテアは改まって有無を言わせぬ口調で言った。 「…もうあと少しだけ… 再びアルヘンザードが現れるまで、偽のアルヘンザードに扮して頂けませんか」 「まっぴらご免ですよ。今度こそ『大魔導師アルヘンザードの名を汚す者』として見せしめに殺されてしまいます…」 「アルヘンザードの名を汚して欲しいのです。彼こそ真の大魔導師、アブドゥル・アルハザードの偽者に他ならないのですから…」 「それだったら別にわたしがやらなくても毎年祭りにやって来る乱痴気騒ぎの好きな若者たちが、大魔導師の頭の線を切れさせてくれること間違いなしですよ」 「そうそう、それでしたらわしも保証します」 町長も横から口をはさんだ。 「…でも、本当にそうなった時にどうすれば…」 「大丈夫。奴が現れたら必ずこのわたしが倒します」 自称テレビ局の美人レポーターは、きっぱりと宣言した。 水槽の金魚たちは、殺気を感じてみんな珊瑚の陰に隠れてしまった。 数日後… その日はちょうど木乃伊祭りの前前夜祭に当たっていたので、メキシコやアメリカから何台もの観光バスが続々と到着した。 バスから降り立った観光客は、アルヘンチノスの町のたった一つの自慢である『木乃伊博物館』に、一人米ドルに直して十九ドルと五十セントの入場料を払って入館し、いままでに発掘された『町のご先祖様』たちをガラス越しにうやうやしく見物した。 町の人々はみんな、老いも若きも男も女も骸骨の仮面や衣装をかぶって遠来の客たちを盛大に出迎えた。 照り付ける砂漠の太陽の下では、骸骨の形にくり抜いた砂糖菓子や、木乃伊にちなんだいろんな土産物を売る屋台が大通りに軒を並べ、素人楽団がマリアッチの明るいメロディーを奏でた。 さらに、待望の新聞社や雑誌社、テレビ局のクルーたちが、社名を染め抜いた車やワンボックス・カーで到着した。 けれども、ホルヘ町長やミロードは、いま一つ浮かない表情で、記者たちの挨拶に握手を返していた。 (いまみんなが楽しくはしゃいでいるところへ、甦ったアルヘンザードが、とんでもない異形のものたちを率いて現れたら、一体どうしよう?) そう考えると、とてもおちおちこの盛況を喜ぶどころではなかった。 観光客や、新たにやって来たテレビ局の取材陣の中には、思い思いのアルヘンザードの衣装に身を包んだ者が大勢いた。 そのうちの何人かは、明らかに「あまりいいお客さん」には見えなかった。 木乃伊の仮装をした男の子たちは、女の子たちに声を掛け、車を猛スピードで蛇行運転させたりした。 …まあ例年祭りが盛り上がってくるとしばしば見られる光景ではあるものの、今年は「アルヘンザードの年」なのだ。大魔導師がチンピラ暴走族がはしゃぐのを最後まで大人しく眺めているかどうか、みものといえばみものだった。 「やあ、アルヘンザードの木乃伊は蘇って、その辺のコスプレしている若い連中にまじって、自分自身の祭りを楽しんでいるかもしれない、なんて、本当ですかね?」 誰かが貴賓席の町長に訊ねると、ホルヘは真顔で 「きっといますよ。マジでね」 と答えた。その時の表情が余りにも真に迫っていたので、メイン・ステージでアトラクションの進行を仕切っていた二流のお笑い芸人たちのうち一人が、アドリブでとんでもないことを口走った。 「みなさん! みなさんの中に復活した本物の大魔導師アルヘンザードが紛れ込んでいるかもしれないそうです。ひとつ、彼のトレードマークであるムーア風の獅子鼻をもぎ取って、正体を暴いてみようではありませんか!」 この模様は、臨時に開設されていたミニFM局でも放送されていた… かくしてそこここで「付け鼻」のもぎ取り合いが始まった。 さすがにこの頃には少なからず酒の回っている者もいた。 不埒な若者たちの中には、アルヘンザードに扮していた女性たちのコスチュームを裂く者さえ現れた。 あっちこっちで響く黄色い悲鳴… 図らずも町長やミロードの予想は的中してしまった。 「もう… もう我慢も堪忍もならぬ」 貴賓席でホルヘ町長やミロードたちとともに、ご馳走にありつき、この日のために特別に開封された赤ワインにありついていた老アンドレアス神父がポツリと呟いた。 「神父様、どうかされましたか?」 町長が気にして尋ねた。 「…貧乏な町の町民の懐を潤すため、また辺境のこの地の名前を広めるため、久しく眠りに就いている死者たちを利用することは悪くなかろう。また今年はアルヘンザードの木乃伊を墓から掘り出して展示する年であったが、洞窟の中に彼のムクロはなかった… 観光客は激減するやも、と危ぶまれたが、数日前に生き返った彼の姿を目撃した、という者たちが現れて、このように木乃伊祭りは例年に増して盛大に行われておる。 …つまり、皆の者にとって、木乃伊があろうとなかろうと、そういうことはあまり関係のないことだった、と言うことじゃ」 「神父さま…」 「それは一体どう言う意味でございますか?」 ケチャップで汚れたナプキンをぶら下げたままの町長と、油断なく段の下に目を光らせていたミロードの顔が引き吊った。 近くにいて、酒や料理には一口も口を付けないで熱心にレポートしていたアルテアも、思わず眉を引き締めた。 「…知れたこと。おぬしらにとって、アルヘンザードが居ようと居まいと、そんなことは大したことではなかった、と言うことじゃ つまり、簡単に言うと、自分たちの命の糧であるはずのアルヘンザードへの畏敬も尊敬もまるでない…」 「それは違います神父。例え木乃伊はなくても、大魔導師の伝説がなければ、果たしてこれほどまでに盛り上がっていましたかどうか…」 「いいや、おぬしらのことじゃ。アルヘンザードの伝説がなければないで、ミッキーマウスの先祖のネズミの木乃伊でもでっち上げて、己らで勝手に盛り上がっていたことじゃろう」 「みんな下がって! この人は本当のアンドレアス神父じゃない!」 アルテアは大きく両手を広げて一同を下がらせた。 「…こいつが、アルヘンザードよ!」 「だったらどうする? ガラスの入れ物の中に安置して見せ物にするのかね? それとも大学の実験室で解剖するか?」 アルヘンザードが大きく手招きすると、何日か前に、オートモービルの男たちを派手に脅かした、巨大な蚯蚓に似た無数の触手や、腐った腕が地面から次々ににょきにょきと現れて、浮かれに浮かれていた人々の足首を掴んで地中に引きずり込んだ。 たちまち町中が阿鼻叫喚の地獄と化した。 蝙蝠谷の、大きな岩の扉も勝手に開いたようで、死後五十年を経ていない、生腐りの葬られた者たちが、夢遊病者よろしくふらふらと歩み出て、観光客やテレビ局のクルーたちに襲いかかった。 「助けて!」 「もしアトラクションなら、こいつは明らかにやり過ぎだ!」 どうにか車やバスまでたどり着いても、車輪の前の地面が盛り上がって固まり、さながら車止めとなって、どうにも発進できなかった。それでも無理矢理アクセルを踏み込んだ車は、ごろりと無惨に横転した。 奇怪なことに、地面に引きずり込まれた人々は、みんな緑色の、鋭い棘を持ったサボテンに変じた。余りに一度にあっちこっちで襲われた人が多かったから、アルヘンチノスはたちまちにして、緑色サボテンの森の町になってしまった。 「こ、これは!」 「大丈夫、一時的に姿を変えられているだけよ! だから銃を持っている人はサボテンに向けては撃たないで! 術が解ければ必ず元に戻ります…」」 電話線は切断され、携帯電話を掛けようとした者は真っ先に襲われた。 ミロードは休むことなく拳銃を発射し続けたが、触手や死霊たちは多少ちぎられ、吹き飛ばされ、風穴を開けられてもびくともしなかった。 …そのうちに、予備の弾丸も全部撃ち尽くしてしまった… 「アルテアさん、あなた何とかして下さるのでしょう? 確かにそうおっしゃいましたよね?」 町長は彼女の背中にしがみついて頼んだ。「確かに言ったわ… 言ったけれど…」 「…どうしたお嬢さん、まさかわたしをタダの雑魚だと踏んでいたのではないだろうね? 世紀の大魔導師アルヘンザードは、本来はアルハザードの名前などもじらなくても、十分立派に大いなるものたちを操れるのだよ!」 いまやアルテアの後ろには数十人の人々が隠れていた。 「アルヘンザードさん、確かにわたしたちは貴方の木乃伊を掘り出して祭りのだし…見せ物にしようと計画しました。しかしそれは、貴方が死んでいて、もう何をされても意識もなくて、迷惑なんか決してかけないと思っていたからです…」 町長は選挙演説よろしく、身振り手振りを交えて説得を試みた。 「死んで意識がない? …とんでもない! ヨーロッパでも永遠に生き続けられたわたしが、なぜわざわざこんな片田舎にやって来て町を作り、五十年、一時安眠する場所に選んだと思うのだ?」 「いったん引くわよ…」 アルテアは相手が自分の言葉に酔い、均衡を失った瞳が宙を彷徨っている隙に囁いた。「ええっ、逃げるのですか?」 ホルヘ町長もミロードも、かろうじて助かっていたサンチェスやカルメンも、くしゃくしゃにした顔を思わず弛緩させた。 「大丈夫、わたしたちを取り囲んでいるものどもは、わたしがしばらくのあいだ動きを止めます」 彼女が大きく、その細い褐色じみた手を差し上げると、彼方の砂漠で大きな砂竜巻が巻き起こり、見ている間に町を襲った。 大量の砂が、地面から這い出た者たちを埋め戻し、うろうろしていた木乃伊たちを何本もの砂の柱に変えた。 「おのれこしゃくな!」 アルヘンザードはいきり立ったものの、渦巻く砂の中で、目を開けていることも、まともに立っていることさえできなくなって、掻き消えるが如く逃走した。 アルテアと人々は、透明の幕に守られてまったく平気だった。 アルヘンザードが去ると、幕も消え、みんなは一面の砂漠になった町の真ん中にへなへなと腰を下ろした。 「罰が当たったんだ… あのアルヘンザードを客寄せに使うなんて…」 ホルヘ町長は両手で頭を抱えて男泣きに泣き崩れた。 「アルテアさん! 約束が違うじゃないか! あなたが『アルヘンザードが蘇ったら、わたしがやっつけてあげます』とおっしゃるから…」 ミロードは空の拳銃を砂の上に叩きつけた。「みなさん… 約束を違えて申し訳ありませんが、あいつはわたし一人では倒せません」 「何だって! それだったら最初から軍隊でも呼んでおくべきだったんだ!」 ズボンの前をびしょびしょに濡らせたサンチェスが悲痛な声で言った。 「いいえ。おそらく軍隊が控えていても、同じことが起きたでしょう。…それよりか皆さん、お互い生き延びたければやらなければいけないことがあります」 「あたしゃあいっそ、このまま死にたいよ…」 カルメンはハンケチを噛みしめた。 「諦めたら、すぺてがおしまいです。いいですか、アルヘンザード自身は大した魔導師ではありません。やつがこのような凶悪な力を発揮できるのは、さっき彼自身がちょっと口走ったように、バックに何者かが付いているのです」 「そいつは何者なんだ?」 ミロードがようやくいつもの突っ込み癖を取り戻した。 「それを今から手分けして探すのです。時間はそう…あと三十分くらいしかないでしょう。 三十分たてば、わたしの砂の術は解け、再び同じ術は効きません。そのあいだに、古代オルメカ文明の邪悪なる神と思われる存在の居場所を見つけだして倒さなければ… 一人づつ、少しでも心当たりの場所を探して下さい。この役目は、ほんの僅かになってしまったとは言え、古代オルメカ人の血が流れているあなた方にしかできません。そしてもしそれらしきものを見つけたら、わたしを呼んで下さい… 町長と保安官はわたしと一緒に来て下さい。一番怪しい場所を当たりましょう」 アルテアはそう述べて、みんなに小さな笛を配った。 「その笛は、わざわざ吹かなくても、目標を発見したら、自ら鳴ります…」 みんなは、それぞれの心当たりを胸に、二人づつくらいの組になって散っていった。 中には町から歩いての逃亡を企てる者もいるにはいたが、五十マイル離れた隣町、サン・エルサレムとの間は薄い膜で隔てられ、人間や車の力ではどうしても突破することができなかった。 アルテアたちは、町のほぼ中央、広場の脇にある古い教会を目指した。 祭りのさなかだったので、正面の樫の木の扉は大きく開かれ、砂がなだれ込んでいる。 地上部の建物は一六〇〇年代、典型的なスペイン植民地様式のものだ。漆喰はところどころ剥がれ落ち、信徒席や説教壇は手垢で黒光りしている… 祭壇の、十字架上の基督の表情は苦痛に喘いでいた。 彼女は再び外へ出て、教会の土台…礎石の部分を調べた。 (思った通りだわ。もの凄く頑丈な石造りの建物の地上部分を壊して、その上に教会を建てている…) 「ここが?」 ミロードは新たに弾丸を込め直した拳銃を構えた。 「ええ、たぶん」 「アルテアさんと一緒なら安心です。…他の住民たちも自宅の浴室に閉じこもるなどして、真面目に探索している者なんかまずいませんよ」 町長も、今度ばかりはショットガンを背負ってきていた。 「町長、この教会に地下室がある…というような話を聞いたことはありませんか?」 「ええ、ありますよ。古代オルメカ人が、権力者を埋葬したところだとも、生け贄を生き埋めにしたところだとも伝えられていますが…」 「案内して下さい」 「いいですよ。しかし…」 「しかし?」 「そこは四〇〇年前にやって来た神父が、『邪教の遺跡だ』と言って、徹底的に石灰やら漆喰で封印してしまって、以後誰も開いてはいないはずですよ…」 ほとんど腐りかけた床板を何枚かバールでこじ開けると、かつては落し扉だった巨大な玄武岩が現れた。 町長の言葉に嘘はなく、岩の周りには大量のセメントが流し込まれた跡があり、無論誰も開いた痕跡はない… 「こりゃあ無理ですな。例えセメントを全部取り除いても、クレーンでも持ってこなければ、こんな岩、とても人間の力では持ち上がりませんよ」 「これは神殿の礎石です… 他国に攻め滅ぼされるなどして、パワーが敵の手に渡りかけたりしたら、魔導師の長が魔法の力で抜き去って、全てを灰燼に帰させる目的で据えられた岩です」 アルテアは静かに瞑目して、両手でものを捧げ持つような格好をすると、マイクロバスほどもある巨大な岩は、流し込まれていたセメントとともに、まるで黒い気球のようにふわりと持ち上がり、ぽっかりと開いた穴の横に着地した。 「さあ、降りましょう!」 「わ、わしたちも一緒に行くんですか?」 町長はおずおずと訊ねた。 「もちろん。オルメカの神か、悪魔は、あなたたちオルメカの子孫の言葉にしか耳を傾けないでしょう…」 松明を手に蝙蝠谷の木乃伊安置所に向かうのとそっくりな階段を下りると、そこはローマのカタコンベなみの広い地下道が縦横に走る、暗黒の地下都市が広がっていた。 「教会の地下に、こんな遺跡があったなんて…」 「木乃伊祭りよりもずっと素晴らしい観光資源だ…」 二人はあっちこっちの部屋の跡を松明で照らしつつ走り回った。 と、二人の笛がヒュッと低く、しかしはっきりと鳴った。 「ここが…」 ホルヘとミロードは思わず立ち止まって目を見張ったが、アルテアは瞬き一つしなかった。 コスタリカあたりに沢山ある不思議な丸い石の玉…直径一メートルくらいのもあれば五十センチくらいのもある…が無数に散らばる大広間。奥の内陣と思しきところには、巨大な、首が異様に短い古代オルメカ人の石の頭が幾重にも重なって鎮座している。 さらに、四方の壁は蝙蝠谷の木乃伊安置所の規模をうんと大きくしたかのような天井まで届く蚕棚が聳えていた。 おのおのの棚には美しい民族衣装を着た古代人が、生きていた頃の姿顔そのままに、男は浅黒く屈強な、女は彫りの深い気高い顔立ちのまま永遠の眠りに就いていた。 二人が松明の炎を当てると、全ての木乃伊が黄金色に輝いた。 「我らの安眠を脅かす者は誰ぞ?」 木乃伊たちは石頭像を通じて三人の心の中に問いかけてきた。 「お願い、インチキ魔導師アルヘンザードに力を貸すのはやめて!」 「…サナアのアルハザードの娘か。一体何の用だ? あの男は我々の眠りを守るためにいろいろと尽力してくれた。我々が発見されぬよう、神父に化けて教会に居座ってくれた…」 「それはあいつ自身が、あなた方の力を拝借して、永遠に生き続けたかったためよ。…いまここにいるあなた方の子孫、その仲間の人々をサボテンに変えたりしているのを見過ごすつもり?」 「我が尊敬する太古の人々よ…」 階段のあたりから大音声の声がした。 アルヘンザードだ。 「この者たちを生きてここから出したらどうなると思う? この者たちは、こともあろうに先祖の木乃伊を見せ物にして金を儲けようという連中なんだぞ。ここから生きて逃がしたりしたら、必ずおまえたちも見せ物にされてしまうぞ」 「滅相もない、そんなことは絶対にしませんよ。秘密は守ります。わたしたちだって命は惜しいですから」 町長は必死で釈明した。 「…ところでアルヘンザードさん」 彼女は棚のうちの空いている一つを指して言った。 「五十年間もここの番人をしていて、自分自身が横になって見ようとは思わなかったの?」「ここで横になったら、一体どうだと言うんだ?」 「五十年はおろか、数千年、数万年の時を越えられるわ。ここにいる人たちみたいに。眠っているうちに、ここの人々と精神感応を使って会話もできる… 目が覚めた時は、貴方は本当に世界一、いや宇宙一の大魔導師よ」 「おいしいことを言って、騙されたりはしないぞ。そんなにいいものなら、どうしておまえが横にならないんだ!」 彼はアルテアが示したのと同じ空間を指さして叫んだ。 「わたしはいまのこの世界が気に入っているからよ」 「『この世界が気に入っている』…」 木乃伊たちが声を揃えて訊ねた。 「…いま、基督生誕二千年の世の中は、そんなに楽しいのか?」 「起きてみて、自分たちで確かめたら?」 オルメカの木乃伊たちは、お互いに何かを相談し始めた。そしてややあって、ホルヘ町長とミロード保安官に尋ねた。 「子孫たちよ、外の世界は価値を回復したのか?」 「え、ええ。何時の世でもそうでしょうが、完璧ってことはなくても…」 「そこそこ十分楽しいかと…」 木乃伊たちは頷き合うと、輝く小さな光の球となって次々に階段を上がっていった。 「お、おい待て… 外はそんなに楽しくない! 楽しくなんかないぞ!」 棚には干からびたむくろだけが残された。 「さて、どうします『大魔導師』さん?」 アルテアは腕組みをしたまま振り返って見た。 「おのれ、くそぅ…」 術を放とうとしたアルヘンザードだったが、その時には自分の腕も、身体も、服をまとった骸骨になっていた。 「だから言ったでしょう… 『寝ていたほうが良かったんじゃない』って…」 彼女が骸骨の額を指先でちょいと押すと、アルヘンザードは石の床に倒れて粉々になり、吹き込んで来た風で跡形もなく吹き飛んだ。 …サボテンにされていた人々は、全員元の姿に戻ることが出来た。 土産物屋のサンチェスも、宿を経営しているカルメンも大儲けをした。 「アルヘンチノスの木乃伊祭り」を取材した番組は、ネットワークで大好評を博した。 ホルヘ町長は教会の地下にあった古代の遺跡を大々的に公開し、町は一年中研究者や観光客らの絶えない町になった。 そのせいか、別の理由か、町の人口も少し増えたが、新しい住民の中には一日中眠っているような男女が多かった… ミロード保安官は、時々大魔導師アルヘンザードに扮して、アトラクションに出演している… (完) KIJISUKE@aol.com