ロアノーク島の怪 およしなせえ。ロアノーク島へ行く? まさか知らないって訳はないでしょう。あそこじゃあ子供を含めた百人の入植者がきれいさっぱり消えちまったんだ。きれいさっぱりとだ。骨の一つも見つかっちゃあいねぇ。 なんだって、そいつをもう一度調べに行く? やめといたほうがいい。総督のジョン・ホワイト様と、選りすぐりの兵隊が必死になって探しても、家財道具も、武器なんかの残骸もほとんど出てこなかったんだ。いまさらもう一度調べるのは無駄というものさ。 …おお、こりゃあすみませんね。本物のスコッチなんか、実に久しぶりでね。 失踪のいきさつ? それは私なんかより、お役人様のほうがよくご存知でしょうが。…これ、本物の金貨ですか? いやあ、始めて触るもんで。 …これを私に? そりゃあ欲しいですよ。誰だって欲しいに決まってます。 でも、約束してしまったんだ。約束を破ったら殺されちまいます。金貨は欲しいが、殺されちまったら元も子もねぇんで、どうかしまっておいておくんなせえ。 酒が入ると、どんどん口が軽くなるのは、自分が一番良く知ってますからね。 …話を聞くのは一人だけにする? 他の皆さんは別の仕事をしに出払う。話は自分だけの胸に留めて、後で皆と相談するようなことは絶対にしない。確約する? 本当ですか? それで金貨が頂けるんですか? 後になってから、それはみんな知っているネタだ、とかおっしゃって、ひっこめることはないでしょうね? …おお、先に頂けるんですか。ありがたい。後から返せ、とは言わないで下さいよ。 あれは北カロライナに最初の大きな砦ができる三年ほど前…一五八七年だったかな、移民百余人が、ロアノーク島に上陸したんですよ。 責任者のジョン・ホワイト様は、子供を含めた百人を船から下ろすと、増援と物資をピストン輸送しようと、すぐさま母国イギリスにとって帰られた。 ところがイギリスはスペインとどんぱちを始めた。ウォルター・ローリー卿とか、フランシス・ドレイクなんかが先頭に立って、金銀財宝を山積みしたスペイン船を片っ端から襲った、って訳。 連中はエリザベス(一世)女王陛下に、船から略奪するだけではまだ足りないから、この際一般市民も大量に新大陸に住まわせて、全部が全部こつちのものにしてしまいましょう、って進言したんですよね? それはそういう成り行きでいた仕方ねぇ。 ところが軍人だったジョン・ホワイト様はそのあおりを食って、すぐにロアノーク島に戻れなくなっちまった… 確か転戦を命じられたか、ロアノーク島に向かう航路が戦闘水域になったか、だ。 ところで、ロアノーク島に白人が移り住んだのは、これが始めて、ってことでもなかったんでさぁ。その二年前、一五八五年、とある部隊の兵隊たちがやって来て、板で囲った簡単な砦を作って、その内側に家を建て、少しの間だが住んでいたんだ。 話はその時に遡る… 先遣隊の隊長の名前を、ここでは仮にスタントンってえことにさせてもらいましょう。 とにもかくにも原住民のアルゴンキン族を防ぐための塀と小屋を作って、食料や弾薬を運び込んでほっと一息ついた時に、一人の兵卒がスタントンのところにやって来て、次のようなことを言ったんだ。 「すみません、隊長。自分のことを決して臆病者だとか、おじけづいたと思わないで下さい。自分は幼い頃から他人には見えないものが見えるんです。…そのぅ…幽霊とか、亡霊とかいったものの類です。イギリスにいた時は、両親が、とある古い貴族の館で住み込みの召使をやっていたものですから、本当に、自殺したり毒殺されたと言われる人物の姿が漂っているのを、夜中に厠に行く途中に何度も目撃したんです。 ここ、ロアノーク島にも、何かはよく分からないけれど、そんなものがいるみたいです。…いえ、イギリスにいた時のようにはっきりと見たわけではありません。…でもいるんです。誓って嘘は申しません。自分は兵士として死を恐れたりはしておりません。 何でしたら、いますぐスペインとの戦争の最前線に送って頂いても結構です。 だけどもここはいけません。イギリスの幽霊などよりも数倍、数十倍の、邪悪な気を感じます。 上陸した際に、アルゴンキン族が一人もいなかったのも、ここが原住民たちにとって何らかの聖地、あるいは不浄の地であることに他なりません。 ですから一刻も早く、大事が起こらぬ前に、マルケサスかどこか、他の場所に拠点を移されるようにお薦め申し上げます」 筋骨隆々、不精鬚を生やした屈強の兵士が真顔で言うものだから、スタントン隊長の心も動きやした。 実はその前に、別の部下から、 「薪を集めに外へ出たときに、何か大きな動物の気配を感じました」とか、 「島を探検した際に、地面に何か大きなものを引きずった跡を発見しました」とか、 「夜、寝付けないでいると、森のほうから一声、低くうめくような獣じみた声を聴いた」などなどの報告もうけていたんです。 「おそらく大きな猩々か何かであろう。襲ってきたら射殺してよろしい」 と、適当にあしらってその場は誤魔化していたんだ。 ところがそんな猿なんか、誰も見てはいねぇ。兵士の中には、いろんな獣の足跡や糞に詳しい者もいたけれど、そいつはそんなものがその辺をうろうろしている痕跡は特にない、って言い張りやした。 しばらくして、アルゴンキン族の使節が、毛皮や何かを持ってやってきた。当時、ここらあたりの原住民はまだまだ友好的で、ビーバーの毛皮なんかをガラス玉やナイフと交換してもらうのをとても楽しみにしていたみたいだったんでさ。 ひとしきり交易が終わった後で、奴等のリーダーが真剣な表情で切り出した。 「ところで隊長。ここ、ロアノーク、ずっといるといけない。この土地。昔から呪われている。確かに、アルゴンキンも住んではいるが、ちゃんと呪術師にお祓いをしてもらっている。白人、呪術師いない。 他に豊かな土地、いくらでもあるので、そこにかわるといい。どうしてもここ、ロアノークにいたければ、白い呪術師、呼ぶべき。 でも、もし呼んだとして、彼、きっと言うと思う。 『場所、移ったほうがいい』と」 先の兵士の言葉や部下たちの報告を聞いていなければ、スタントン隊長はてっきりただの脅迫だ、と思ったに違いねぇ。 だけども、いろいろ聞いていた後だけに、刺青の野蛮人たちの忠告も、真面目に受け取ってしまったんだ。 で、当然こう聞き返した。 「何が呪われているんだ? 何で祟られているんだ?」 すると連中の浅黒い顔から一斉にさっと血の気が引いた。 「知っているが言えない。そういうこと、白人にもあるだろう? 言えば必ず惨い方法で殺される」 そのビビりようがどう見ても芝居なんかじゃあなかったから、名状し難い恐怖が一座に伝染っちまった。 隊長はひとしきり「白人には白い神がいて、そういう道理に反することを平気でする者がいれば、正義に従って罰してくれる」ことをこんこんと説いたものの、迷信に凝り固まった奴等には通じなかった。 「あなたたち、われわれのともだち。悪いこと言わない。何か起きてからでは遅い」 言い残してアルゴンキン族は去っていった。 スタントン隊長にとって幸運だったのは、 「どうしようか、こうしようか」 と、いろいろ思案をしている間に本国から部隊の召還命令がきたことだった。おおかたスペインとの戦争に戦力が足りなくなったっと言うことで、前線へやらされるらしかった。 「ロアノークには民間人を入植させることにする」ってね。 あの不気味な進言をした兵士にとっては、ちょうど望んでいた通りになったって訳で、大いに喜んだと思うよ。 ロアノークからいったん立ち去るに際して、スタントン隊長は今回のあれこれを全部きちんと報告書に記すかどうか、ひどく悩んだ。 状況からすると、一から十まできっちりと書き残して去るのが親切に思えた。ところが報告書をまず読むのは、次に来る人々ではなくて、彼の上官たちなのだ。 「これは一体どういうことなのだ?」 「正体不明の事項があれば、徹底的に調査わするのが君たちの任務ではないのかね?」 「原住民たちの発言は、どう考えても単なる恫喝としか思えないが?」 などと詰問されるのは目に見えていた。 そこでスタントンは、不誠実の謗りを敢えて恐れず、ロアノークにおける怪異の噂に関する部分をそっくり削除して、報告を提出しちまったんだ。 さあ、でもって、軍人に代わる民間人百余名のロアノーク島への入植が予定通り決まっちまった… 一五八七年、初代総督ジョン・ホワイトが百人を率いてロアノークにやって来たとき、スタントンの部隊が建てた小屋や板塀はほぼそのままだった。アルゴンキン族は白人の家なんかにはまるで興味がなかったのだ。 一行の中には総督の孫娘であるヴァージニア・レアーもいた。彼女の愛くるしい姿は、不安と緊張を隠せない人々に、さぞかし希望を与えたことと思う。 ジョン・ホワイトは総督の地位に恥じない学識の豊かな人で、島に来るなりまず「ロアノーク島研究室」を開いた。 入植者の中には鉱物学や冶金学の心得のある者もおり、それぞれ利用できる鉱床はないか、鉄なども自給自足できないか、研究に当たらせることになった。 ホワイト総督自身もスケッチが上手で、近くのアルゴンキン族の集落や、彼らの道具、壷などの破片を絵にして残している。 上陸後しばらくはこれと言った事件もなく、平穏無事な日々が続いた。 それからしばらくして、ジョン・ホワイトに本国から召還命令が届いた。 総督は心配する人々に 「補給の食料やら、武器などを受け取ったら、ただちにロアノークに戻って来るから」 と堅く約束を交わしてイギリスに戻った。 この言葉には嘘偽りはなかっただろう。 なにしろ入植者の中には可愛い孫娘がいるのだ。本当にとんぼ返りするつもりだったのに違いない。 万一、アルゴンキン族が急に狂暴になって襲って来たりしたら、一時退却する先(クロアタン島が有力だった)を家の柱に印し、さらに危険が迫っていたらその下にTの字を刻むことも取り決めた。 後ろ髪を引かれる思いでイギリスに戻ったジョン・ホワイトを待っていたのは「ああしろこうしろ」の命令に次ぐ命令の山だった。 ホワイトは大英帝国の軍人であり、女王陛下の命令には何があっても従わなくてはならない。 それでも一年が経ち、二年が経ち、三年目に入ろうかという頃には、総督の職を辞職してでもロアノークに戻りたいという気持ちになった。 幸い、さすがにその時分には「ロアノークに残してきた入植者のことが気になるので、その調査を命令としてお与え下さい」という請願書が受理された。 (これで堂々とロアノーク島に戻れる!) ジョン・ホワイト総督の心は踊った。 早速配下の軍艦を仕立てて新大陸へと向かった。 その頃にはスペインとの戦争も目鼻がつきかけていて、イギリス側の勝利に終わりつつあるところだった。 (もはや何も心配はない) 大西洋上の総督の心の中では、着々と新天地での幸せな生活を築いている人々や、大きく立派になっているだろう畑や町や、そして何よりも美しく健やかに育っているであろう孫娘を始めとする子供たちの姿が映っていた。 やがて約束の食料や武器弾薬を満載した軍艦は新大陸のノース・カロライナ沖に浮かぶロアノーク島の沖合に到着した。 ジョン・ホワイトは当然、一番のはしけに乗り組んで島を目指した。 はしけはどんどんと近づく。 総督は突如、押さえきれない心配に囚われた。 島からはイギリスの軍艦が沖合いに繋留し、ボートが近づくのも見えているはずだ。 なのに誰一人浜辺に出る者もなく、迎えのボートも出てこない… ジョン・ホワイトの悪い予感は当たってしまった。 ロアノークの民家は、どれも風雪と潮風でぼろぼろの状態で、百余人はいた入植者たちは、孫娘のヴァージニアを含めて、全員が完全に姿を消していた。 総督は気も狂わんばかりに取り乱した。 (すぐ戻るという約束が三年も待たせてしまった。その間にきっと何かが起きてしまったのに違いない!) 総督がまず疑ったのはアルゴンキン族だった。連中が食料や道具を奪うために、いきなり襲撃したのかも知れない、と。 でもそれは違っていた。 家の壁や近くの木々には、矢の跡も、銃痕もなかった。家々は焼き払われてはおらず、隅々まで調べても、死体はもちろん、骨も遺留品も何も残されてはいなかった。 万一、ここを引き払う時に書かれるはずの行き先を示す言葉もどこにもなく、危険が迫ったことを示すTの文字もなかった。 総督はそれでもなお、まだアルゴンキン族を疑った。 実はこの少し前にロアノーク島から少し離れた別の入植地で、アイルランドの反乱軍を掃討して功績を上げたリチャード・グレンビルというやり手の軍司令官が、自分の銀のカップを盗まれたと言いがかりをつけて、先住民族を皆殺しにしてしまったことがあったからだ。 だから、これでさすがに温厚な原住民たちも激怒して、白人を虐殺したんじゃあないか、と。 しかしそれにしてはまるで痕跡がなかった。 ホワイトは部下たちに命令して、百人の、とりわけ孫娘のヴァージニアの行方を徹底的に探させた。また近隣の砦や入植地に信頼できる使者を立てて、誰か一人でも逃げ込んでいないかを調査させた。 結果は、全く何もなし。 原住民の通る道にも、獣道にも、地の跡はもちろん、遺留品は皆無。近くの砦の人々の「知らぬ存ぜぬ」の言葉にも嘘偽りがあるようには思えなかった。 犬でも連れて来ていれば、犬の鼻を使ってさらに調査ができただろうが、よそから借りてきた頃には何度かの激しい雨で、臭いはすっかり洗い流されてしまった後だった。 総督は自分が最初にやって来た時に建てた研究室を調べた。近くで掘り出した鉱物の見本やアルゴンキン族の独特の模様のついた陶器の破片などはみんな手付かずのそのままの状態だった。 次ぎにホワイトは、百人の安否について、なんらかの情報をもたらせた者について、多額の賞金を支払う、との触れを出した。 金目当てに、白人・原住民の区別なく大勢の者が「あそこでそれらしき人の群れを見た」だの、「そこここで噂を聞いた」だの、いろんな話をしたものの、見事なくらいにどれ一つとして裏付けの取れたものはなかった。 こうなったら最後の手段だ。ホワイトは虐殺を免れて、奴隷として売り飛ばされていたアルゴンキン族の生き残りを一人一人訪ね歩いて、金で彼らの鎖を解いてやり、頭を下げ、土下座さえして尋ねた。 ところが相手は身内を殺され、友を殺され、土地を奪われて、挙句の果てに奴隷に売り飛ばされた者たちだ。 例え何かを知っていても決して言わなかっただろうし、正直なところ彼らもまた、この件については全く何も知らない様子だった。 これでホワイトの調査は万策が尽きたように思えた。 そんな時、彼の脳裏にふと閃いたことがあった。 (自分たちよりも三年ほど前に、スタントンという者を隊長とする軍人ばかりの先遣隊がロアノーク島に上陸し、しばらく駐屯していたらしい。ひょっとすると、スタントンを始めとする彼らのうちの誰かが、何かを知ってはいないだろうか?) ホワイトは早速スタントンの部隊のその後を調べた。すると、スタントン隊はスペイン軍との大激戦を繰り広げた末に、隊長をはじめほとんどの兵卒が戦死していることが分かった。 生き残った兵士も消息はなかなか掴みにくい。ようやく、とある者の行方を突き止めた。 彼はヨークタウンの、とある教会の寺男になっていた。 「そうですか… ロアノーク島でそういうことが起きたのですか…」 がっしりとした体格で、濃い顎鬚を生やした寺男は、ホワイトの話を聞き終わった後でひとしきり瞑目した。 「どんなささいなことでもいいから、心当たりになるようなことはないだろうか?」 ホワイトは祈る気持ちで問うた。 寺男は大いに悩んでいる様子だったが、やがて赤い目で総督をギロリと睨み付けて、噛みしめるように言った。 「もう諦められたほうがよろしいでしょう」「なぜ?」 「断言はしませんが、たぶんおそらく人間の知恵の及ぶところではないからです」 「それはどういう意味か?」 「閣下も船乗りならば、一度や二度は耳になさったことがあるでしょう。食事の準備をしたまま、乗組員全員の姿がふっつりと消えてしまった謎の船の話や、住民全員が忽然と神隠しにあった呪われた村の話を。残念ながら夢と希望を抱いてロアノークに入植した人々は、そういった怪奇現象に巻き込まれてしまったんです。運が良ければ、消えた時と同じくらい唐突に、また帰ってこられることもありましょう。いまはただ、静かに神に祈りを捧げるのが良いと思います」 寺男は静かにそう述べると、文字通り新天地に骨を埋めることになった者の墓穴掘りの仕事に戻った。 こんな返事で 「はいそうですか」 と納得するほどホワイトも莫迦ではない。 牧師さまから用事を言い付かり、寺男が町へ出かけて行くのを待って、彼の小屋へ侵入した。 案の定、机の上には奇妙なものが一杯並べられている。 大人の手のひらくらいの高さのトーテム・ポール(表面には人間の顔とも、神々の顔とも、獣の顔ともつかない、不気味で恐ろしい肖像が四方に隙間なく彫ってあり、毒々しい色の絵の具で彩色してある)、カトリックの儀式に使う華燭に似た花蝋燭(灯心には火がつけられたまま)、奇妙な文字らしきものを刻んだノート大の石板が三枚、猿(であることを願う)に似た、頭部に毛の生えた干し首の木乃伊… どれもこれも明らかに、何らかの魔よけの道具に違いなかった。 ホワイトは無意識のうちに背負った銃を降ろして弾丸を込めた。寺男が帰ってくれば有無を言わさず詰問して、これらが一体何なのか白状させるつもりだった。 その間、日記のようなものが残されてないか他を探したりしていたが、最初からなかったか、あっても捨てられたかして、メモも含めてどこにも何もなかった。 と、部屋の隅でカタカタと何か物音がした。 名状しがたい恐怖に囚われていたホワイトは、即座に気配の方向に向けて銃の引き金を引いた。 だが、そこには鼠が開けたものらしい拳大の穴が空いているだけだった。 歴戦の総督は自分の肝っ玉の小ささに思わず苦笑いし、それから (いま対峙しているのは、スペイン人ではなく、人知を超えた怪異なのであるから、しょうがない) と自分に言い聞かせた。 と、振り返ると、いまの銃撃の衝撃で色づけした蝋燭がひっくり返り、トーテム・ポールや石板に火が燃え移っていた。 (石板に火が?) 彼は仰天した。さっき少し手で持ってみてずっしりと重かった石板が、まるで薪のようにめらめらと燃え上がっている。 慌てて外へ出て木桶に水を汲んで戻ってきた時には、いわくありげな呪術用の品々は、全て黒い炭の塊と化していた。 (まあいい、どうせ邪教の祭具だったのだ) ホワイトは気を取りなおして寺男の帰りを待った。 陽が西に傾き、やがて沈んだ。 それなのに寺男は一向に帰ってはこない。(さては待ち伏せしていることを悟られたかな?) そう思って窓からそっと外を覗くと、何やら教会のほうが騒がしい。そこで出て行ってみると、町の人々がとんでもないことを話していた。 「可愛そうによう、ここの寺男。よろず屋に買出しに行ってる最中に、突然透明の怪物にぱっくりと頭から食われちまってよ」 「おいおい、それ本当か? また与太話じゃあねぇのか?」 「与太じゃねぇ。女子供、年寄りを含めて大勢の連中が見ている前でだぜ。 直前まで奴は、いつもと変わらない様子で普通に通りを歩いていた。と、頭の中で何か聞いたか、常人には見えないものを見たんだろうな、急にピタッと立ち止まったかと思うと、見る見る顔から血の気が引いて真っ蒼になった。荒野で狼の群れに囲まれたみてえにぶるぶると震え出した。…いや、それ以上の有様だった。 と、奴の頭上の空間が、ちょうど樽の口くらいの大きさにぱかっと開いて、首から上をぱくりと呑み込んだ。 余りに突然の出来事だったから、口の奥に舌があったかなかったか、牙が並んでいたかなかったかまでは覚えちゃあいない。 とにかく頭を飲んだ口はそれからずるずると、まるでイタリア人がスパゲッティを啜るみてぇに奴の胴体と両足を吸い込んだ。 脱げ落ちた片方のどた靴がポロッとこぼれおちた途端に謎の大口もパッと消えうせてそれっきりよ」 「一体そりゃあいつのことなんだ?」 「奴が消滅してしばらくすると教会の鐘が鳴ったから、三時前じゃあないかな?」 それを聞いたホワイト総督は全身の皮膚が鳥肌立つのを覚えた。 なぜなら、鼠に向けて銃を発砲し、寺男のいかがわしい祭壇が燃え上がった直後に、確かにその鐘を聞いた気がしたからだ。 逃げるみたいにこそこそと、その唯一の手がかりだった兵士のいた町を後にしたホワイトの頭の中は、拭い切れない戦慄と心配で一杯になってしまった。 彼の脳裏には、ロアノークに入植した百余名の人々が、宙空に突如として開いた無数の貪欲な口に次々に片っ端から丸呑みにされて行く光景が取り憑いて離れなくなった。 …とりわけ孫娘のヴァージニアが、悲鳴と共に喰われる凄惨な情景が。 ホワイトはその後も、このおどろおどろしい記憶を拭い去ろうとするかのように、ロアノーク島の先遣駐屯部隊の残りの隊員の復員先を探したものの、生存しているはずの者たちは揃って行方は杳として知れなかった。 そんな時、ヨークタウンの砦から、思わぬ吉報がもたらされた。 何でも、司令官リチャード・グレンビルがアルゴンキン族を皆殺しにした時に、アルゴンキン族の内部に裏切り者がいて、白人の軍隊を自らの部族の守りの薄いところへ手引きしたらしい。 その原住民は、いまは己の犯した罪の重さにおののいて、アルコール中毒患者になってしまい、安ウィスキー一瓶のためなら、どんなことでもぺらぺらと喋る、と言うのだ。 ホワイトは早速バーボンを箱ごと買いこんで、ヨークタウンの要塞のごみ捨て場近くの小屋へと向かった。 彼はいまは、虐殺を生き延びた仲間全員から狙われる存在になっていて、果たしていくらで裏切ったのかは分からなかったものの、通りの物乞いたちよりもひどい状態になっていた。 「旦那… 旦那… 白い旦那… 酒をめぐんで下せえ…」 両目はひどくおちくぼみ、頬はこけ、両手は震えて、いつやってくるか知れない復讐の神のことを、一瞬でも忘れようとしていた。 あまりのみじめさに、ホワイトは先に酒を一瓶与えた。あらかじめいくらか呑ませておいたほうが少しでも口が軽くなると考えたからだ。 案の定、相手はそれを生のままごくごくとラッパ飲みした。 「私の質問に答えてくれたら、残りも全部くれてやる」 ホワイトはこいつの寿命がもうほとんど残ってないことを悟った。 …と言うことは、さらなる禁断を犯して真実を語ってくれるかもしれない… 「何をお話ししたらよいので」 総督は膝をかがめてユダと目線を合わせ、いままであったことの一部始終を語り聞かせて問うた。 「何か知っていることはないか?」 土気色だった相手の肌から、さらに完全に血の気が引いた。 「旦那、そればっかりは、どうか、どうかご勘弁くだせえ」 額を土に擦り付けて哀願する。 「知っているのだな?」 ホワイトはさらに一本のウィスキーをかざして尋ねた。 「知っています。アルゴンキンの者ならば、誰でも恐れ敬ってやまないものです」 「しかし語ってくれる訳には行かないものなのだな?」 「そうです。白い旦那方の鉄砲などよりも、よほど恐ろしいものです」 ホワイトは大きく息を吸い込み、ゆっくりと準備してきた言葉を述べた。 「…それは確かに、平原の天幕でポツンと暮らしている者どもには恐ろしいものなのであろう。 しかし回りをよく見てみろ。ここは白人の城の中だ。おまえはいくばくかの金品と引き換えに仲間を裏切って追われる身になったらしいが、いままで復讐に怒り狂ったかつての朋友が襲いかかってきたことがあるか?」 「いや、それは… でも、それとこれとはまるっきり違うんで…」 「どう違うんだ?」 「旦那、ロアノークに植民した百余人の白い旦那方をきれいさっぱり消し去ったのは、腕が二本、足も二本、頭が一つの人間じゃあありません」 「獣か?」 ホワイトは声を潜めた。 「獣ならば、弓矢や落とし穴で倒すことができます」 「ならば、おまえたち原住民が恐れる悪鬼悪霊の類か?」 「尋常の悪霊や魑魅魍魎ならば、腕の良い呪術師の力で退散させられます」 「では一体何なのだ!」 じれったくなったホワイトは、持参したウィスキーの瓶を木箱ごと地面に叩きつける格好をして見せた。 「や、やめて下せえ。…もったいない」 「ならば話せ。この城砦の中の一千の鉄砲を持った兵隊でも敵わぬものか?」 「そうです」 原住民は即座にきっぱりと答えた。 「おまえはすでに一族を裏切っていて、死ねば必ずおまえたちの地獄に落ちることは決まっておる。そんな罪深いおまえでも、まだそれ以上に恐れることがあるのか?」 相手は激しく頷く。 「酒は全部やる。その代わり小屋の中を少し見せてはくれないか」 「お断り致します。もう酒はいりません」 大声で言い放った裏切り者の原住民を、両脇から屈強な兵士たちが取り押さえた。 「な、何をなさいます!」 「酒は貰ってもらう。代わりにこの中を見せてもらおう」 「止めて下さい、後生です!」 アルゴンキン族の男は激しくもがいたものの、自らはアルコール中毒の上に、兵士数人に取り押さえられていてはどうしようもない。 男の小屋に入ったホワイトは思わず「アッ」 と声を上げた。 部屋の隅の小さな机の上に、件の寺男が祭っていたのと良く似たトーテムや、花蝋燭、石板、猿の頭の干し首が置いてある。 「やめて下さい! それには絶対に触らないで下さい!」 原住民は顔じゅうを涙と鼻水でぐしょぐしょにして叫ぶ。 ホワイトは思い出した。この謎の祭具を誤って壊した途端、寺男が街中で、姿なき謎の怪物に襲われて、衆人環視の下、頭から丸呑みにされたことを。 (同じようにこれらの祭具を壊せば、その怪物とやらが現れて、あの裏切り者に襲いかかるかもしれない…) そう考えたホワイトは、狙撃隊の精鋭十数名を借りてきて要所要所に隠れさせてから、華燭の火を吹き消し、トーテムを机の上から落としてバラバラにした。 「おお、神々よ!」 アルゴンキンの男は顔をくしゃくしゃにし、目だけは固くつむって下を向いた。 「…もう全ておしまいだ!」 「現れるぞ! ぬかるな! 必ず仕留めよ。 可能ならば生け捕りにするのだ!」 ホワイトは狙撃隊に命令した。 晴れていた空が一転にわかに掻き曇ると、 裏切り者の頭上すぐ上の空間が黒々と渦巻き、ぱっくりと口を開いて、他に何もない巨大なのっぺらぼうの口がぬっとばかり現れた。 男を取り押さえていた兵士たちは「ぎゃーっ!」と悲鳴を上げて四散した。 「撃て! あの口に向かって撃て!」 ホワイトは命令した。 引き金が一斉に引かれ、轟音がこだました。 怪物は鉄砲の弾丸など、まるでこたえなかった。 奴は悠々と、原住民を頭からごくりと一口で飲みこんだ。 あまりのことにホワイトも、兵隊たちも、再び弾丸を込め直すのも忘れて、茫然自失の状態で立ち尽くしていた。 裏切り者を食べ終わった口は、まだ食べ足りなさそうにホワイトたちのほうを向き直った。 近くに繋がれていた馬たちは激しくいなないて棹立ちになり、暴れ狂った。 唇のない、だがその内側には大小の牙が隙間なく密生している口は、次ぎの犠牲者を求めてゆっくりと進み出した。 兵隊たちはみんな悲鳴を上げ、銃を放り出して一目散に逃げ出した。 「逃げるな! 軍法会議にかけるぞ!」 ホワイトは叫んだつもりだが、声にはならなかった。 こいつには銃弾の雨あられも効かないのはよく分かった。 (では、大砲では…) それでも多分だめだろう。 口は一旦はホワイトのほうに向かいかけたものの、もっと肥えていてうまそうな馬たちのところに行って、瞬く間に二三頭を丸呑みにしてから、次元の彼方に消え去った。 砦の中はまだ騒然としていた。丸呑みにされた原住民の裏切り者と馬たちは、血の一滴、骨のひとかけらすら残さなかったそうだ。 (呪術師だ。呪術師ならば、何とかなるかも知れない。…現に、この祭壇を作って、こいつが現れないようにする方法を教えた者がどこかに必ずいるはずだ…) そう思ったホワイトは、始末書を兼ねた建白書にそのことを書いて基地司令官とともに大英帝国の上層部に提出した。 無論、返事はなしのつぶてだった。 しかしホワイトは諦めない。 金で言うことを聞く原住民を総動員して、この怪異を説明し、解決できる呪術師を探させたものの、結果は見事なまでにからぶりだった。 砦の中での出来事の噂のほうが先に千里を走ってしまって、原住民たちをを恐れおののかせてしまったからだ。 (こうなったら…) とホワイトは決心した。 (自分で呪術師を探し出して聞いてやる!) ホワイトはただちに、新大陸の中西部への偵察部隊の隊長を買って出た。 普通は彼のような年配で地位も高い人物は、そんな危険な任務にはつくことはできなかったのだが、曲げて、また細工も使って入り込むことに成功した。 準備が整うとすぐに、偵察隊の幌馬車と騎兵隊は西に向かって出発した。全員が戦闘経験豊富な完全武装の兵士であるとは言え、あまり友好的でない原住民の大群に取り囲まれれば、全滅も考えられる、決死の行軍だった。 だが、幸いなことに、ホワイト隊の遭遇した部族は、温厚で平和的なものが多かった。 土産のビーズ玉や、織物、ナイフなどわ渡すと、彼らは喜んでおいしい水が湧いている泉や、安全に野営できる窪地を教えてくれた。 ある場所で、アルゴンキン族と同じ言葉を話す部族と行き会い、友好親善の煙草を交換して吸う儀式が済んだところで、ホワイトは 「部族の中に呪術師はいないか?」 と尋ねてみた。 早速、全身一分の隙間もなくおどろおどろしい図形の刺青を施し、肉体よりも大きな派手な色に染めた羽根飾りを付けた老人が呼び出された。 ところが老呪術師は、一座の中でホワイトの姿を見るなり、指よりも長い爪の先で指して叫んだ。 「おまえ、呪われている! ロアノークの神に!」 「何を失礼なことを言うのだ? こちらの方は部族の客人なのだぞ」 族長は怒り、ホワイトの部下たちも色めき立った。 「まあ待て」 ホワイト自身は落ち着いて周囲の面々をなだめて言った。 「あなたはなぜ、わたしがロアノークから来たことを知っているのか?」 「おまえには見えないのか、うつけ者! 己の真上を見よ! ロアノークの神が大きな虚無の口を開けて、じっと時期が来るのを伺っている」 呪術師は羽根を振り乱し、悪魔祓いの踊りを狂ったように踊りながらわめき続けた。 ホワイトは自分の頭の上をじっくりと見た。 そこには青空があるだけで、他には何も見えない。だが、彼は老人が言う邪悪なる神の姿が見えたことにした。 「おお、これは大変だ! どうすればこやつを退散させられるのだろう?」 ホワイトの部下たちは、かねてから旅の本当の目的を言い含められていて、隊長と同じように呪術師の前にひれ伏した。 「いますぐ祭壇を作らねばならぬ! いますぐにだ!」 号令一下、ただちに石板やら、蝋燭やら、トーテム・ポールの元になる神聖な木、それに干し首が集められた。 入神状態の老人は、アッという間にトーテムと石板に、何やら訳の分からない、文字とも記号ともつかない図形を彫りこんで、ホワイトのテントの隅に飾った。 不思議なことにそれらの図形はみんな、あの教会の寺男の小屋や、ヨークタウンの砦の中にかくまわれていた裏切り者の原住民の小屋に祭られていたものと、全く同じ記号に見えた。 「この封印を大切にせよ。特に灯火は今後絶対に絶やしてはならない。」 呪術師はおごそかに述べた。 「ちょっと待ってくれ。我々は旅の最中だ。灯火を絶やすな、と言われても…」 「おまえたち白人には、ランプという便利なものがあるではないか。蝋燭に刻んだ呪符と同じ記号を刻んで持ち歩けばよい。だがくれぐれも昼間でも消さぬようにな。石板とトーテム、干し首も捨ててはならぬ。背嚢に入れて持って帰り、自宅の神聖な場所に飾れ」 そう言い残して老人は立ち去ろうとした。 「ちょっと待ってくれ。わたしを狙っていると言うロアノークの神とは、一体何者なのだ? どうしてわたしが狙われるのだ?」 相手は踵を返し、血走った目を吊り上げて言った。 「儂はおまえの命を救ってやった。これ以上よけいな詮索はせぬことだ」 その晩、ホワイトはゆらゆらと揺れる蝋燭の光を眺めながら、これまでの出来事を振り返ってみた。 (あの呪術師が述べたことが正しいとすれば、消えた百余名の入植者も、元ロアノークに駐屯しいた寺男も、ヨークタウンの原住民も、皆ロアノークの神の怒りに触れて祟られたということになる。…このわたしも。 ロアノーク島に一歩でも足を踏み入れた者は、この大層な魔除けの飾りがなかったら、あの化け物に頭から丸呑みにされてしまうということなのだろうか?) 翌朝、偵察隊はその部族の友好的な別れの踊りを背にして、集落を後にした。 数日たって携行していた食糧も底をつき、全員がそろそろヨークタウンの砦に戻る頃かな、と思い始めていたある日、ホワイトは部隊の中で、銃と剣の腕が立ち、とりわけ信頼している部下三名を自分のテントに呼び寄せた。 彼は、原住民の呪術師が錆びた釘の頭で、口の中で何やらもごもごと訳の分からない呪文を唱えながら刻んだ呪符の付いた、火の燃えているランプを示して言った。 「わたしはこれからこの火を、自ら吹き消そうと思う。呪術師の話によると、この火を消すと、ロアノーク島の悪霊が現れて、たちまちのうちにわたしを丸呑みにしてしまうらしい。 そこで頼みがあるのだが、もしもそういうものが出現したら、そいつめがけて一斉に射撃し、剣で斬りつけてはくれないだろうか?」 「イエス・サー」 三人のうち一人はたちどころに敬礼した。「お言葉ですが総督…」 二人目はおずおずと諌言した。 「わざわざ冒さなくても良い危険を冒すのは、司令官として国家および部下に対する背信行為だと思います。現にその怪物がヨークタウンにかくまわれていた裏切り者の原住民に襲いかかった時に、配置待機していた部隊は何もできなかった、とおっしゃっていたではありませんか。 小隊ですら敵わなかったものに、どうして我々三人で太刀打ちできましょう?」 もう一人はさらに弱気だった。 「怪物はロアノーク島に入植した百余名を跡形もなく消し去ったのでしょう? そいつが閣下を食べた後、食べたりなくてわたしたち部隊の者全員を食べてしまったら、さらに不可解な謎が付け加わるだけではないかと思います」 こうして、ランプと、トーテムと、石板、それに干し首はその日から副隊長が預かることとなってしまった。 ホワイトのもだえようは傍目にも気の毒だったが、部下たちの言うことのほうがよほど理屈にかなっていたものだから、もうこれ以上はどうしようもできなかっだ。 ヨークタウンに戻ったホワイトは、休暇願いを出した。 呪術師に作ってもらった三点の祭具を持って、自分一人でロアノーク島でキャンプをしてみるつもりだった。 だけども部下たちは、どうあってもあれらの呪具は返せません、と言い張った。 そして、ロアノークの怪物は、ヨークタウンの要塞のど真ん中にもやってきたのだから、封印がなくなれば世界のどこへでも出没するに違いない、と怯えた。 ホワイトは仕方なく、魔除けの呪具なしでたった一人、ロアノーク島に赴いた。 これが三度目、そしておそらく最後の訪問、と言う訳だ。 彼は消え去った入植民が建てた家のうち、まだしっかりしているものを選んで住むことにした。 「しっかりしている」とは言っても、屋根はところどころ破れ、そこから明るい太陽の光がさんさんと照り輝いている。森や林は青々と茂り、栗鼠やビーバーなどの小動物が現れては消える。まことにのどかで平和なたたずまいで、とてもこの島に正体不明の悪霊が棲み付いているなどとは信じられない… 彼はその晩、初めてたった一人でロアノークの夜を迎えた。 たとえ夢の中でもいいから、孫娘のヴァージニア・レアーに会いたい、もしも化け物の腹の中ででも無事に暮らしているのなら、自分も丸呑みにされてもいい、と言うのが嘘偽りのない心境だった。 夜はどんどん更けていく。聞こえてくるのは梟の声と虫の声だけだ… と、そのうちにホワイトは、奇妙な気配が廃屋に近寄ってくるのに感づいた。 人間や獣のものじゃない、何かこう、得体の知れないものが忍び寄ってくる… ゆっくりと起き上がって、鉄砲に弾丸を込めて構える… ついにその「もの」が戸口の脇に立った。「誰だ?」 彼は鋭く尋ねた。 返事はない。姿も見えない。幽霊みたいにぼんやりとした姿さえも、だ。 ただ、何かがそこにいる、という僅かな気配だけが感じられた。 引き金を引くのはためらわれた。はっきりと説明はできないが、大変懐かしいものがそこにいる感じがしたからだ。 人間…姿が見える訳ではなく、声が聞こえる訳ではないのに、たくさんの人がいる気配がした。 「みんなか?」 ホワイトは話しかけた。 返事はなく、ただ生暖かい風がけだくる吹き抜けるだけだ。 「誰か?」 今度は大きな声で尋ねた。 近くの枝から羽音を立てて梟が飛び立った。 奇妙な按配だった。 「みんな、そこにいるのだな?」 みんなは、確かにそこにいた。 自分と一緒に、最初にこのロアノーク島へやって来た百名の入植者たちが。 「そこにいるけれど、返事はできないのだな?」 頷きが風となってそよぐ。 「ヴァージニア、ヴァージニアもいるのか?」 彼は狂わんばかりになった。 手を伸ばし、ランプも持たずに小屋を離れた。 「寒くはないか、食料はあるのか、武器は、弾丸はまだあるのか?」 両手を伸ばし、暗闇を手探りで動き回った。 草木の枝枝が頬を刺し、手を傷つけた。 それまで雲の合間から顔を覗かせていた月や星が隠れると、あやめも見えない真っ暗闇になってしまった。 「どうしたら助けてやれるのだ? どうすれば元のこの世界に戻せるのだ?」 夢中になって走っていたホワイトは、いつしかギラギラと輝く対になった無数の金色の目玉に囲まれていることに気付かなかった。 鉄砲はもちろん、松明もナイフすら持って出ていない。また仮に持って来ていても、これほどの数の獣の大群の前では何の役にも立たなかっただろう。 ホワイトは夢中で駆け出した。 狼たちが腕と足との両方に噛み付いて、もんどり打って倒れた。 (もうだめだ!) と思った時に、数発の聞き慣れた銃声が谺した。 キャイン、キャインと狼たちが逃げ出す音がして、兵士たちが駆け寄ってきた。 「大丈夫ですか、総督殿」 「自分たちは閣下のことが気になって、こっそりと後をつけてきたのです」 危ういところを命を助けられた総督は、ただ首をうなだれるしかなかった。 その後、「声」と言うか「気配」はまるで感じられなくなってしまった。 ロアノーク島の怪異に関する話は、これで全部でさぁ。 何? 「まだ何か隠しているだろう?」って? 「どうしておまえだけはそんなに詳しく事情を知っているか?」ですって? そりゃあ旦那、決まりきったことでさぁ… 旦那、旦那はいまお一人ですね? こんな大事な話を聞くと言う時に一人きり… いま悲鳴を上げても、誰かが来るまでには一分はかかるでしょうねぇ… 一分というのは長いよ、旦那… 特に噛まずに丸呑みにする場合はね。 KIJISUKE@aol.com 表紙「ウイアード・テールズ贋作展」に戻る