第二章 ピサロ侵攻

  港町トゥンベスに上陸したスペインのピサロ将軍と弟で副官のエルナンドは、とあるインディオのあばら屋に引きこもり、外には六三名の騎兵と二○○名の歩兵を待たせて、はるばるとスペインから連れてきた本物の魔女、カーデッタが操る邪悪な水晶球を覗き込んでいた。
「やった!」
「でかしたぞ、カーデッタ!」
  ピサロとエルナンドは手を打って喜んだ。「…しかし本当にあのコンドル、われわれに災いをもたらすのか?」
  将軍は念を押すように尋ねた。
「ヒッヒッヒッ…  いままで航海が順風満帆だったのは、だれのお陰と思う?  セイレーンたちの声を聞くこともなく、ネプチューンに因縁をつけられることもなかったのは全てこのアウラルネ(別名マンドラゴラ。魔導士たちの護符というかシンボル)のお陰だよ」
  魔女である老婆は両手の長い爪どうしを擦り合わせながらニタニタと笑った。
「みなこのカーデッタが先手を打って片付け、丸め込んだお陰よ。あのコンドル、ご覧の通り背中に太陽の処女を乗せていた。…従って只者ではない。早いこと始末しておくに限るて…」
「すまんなカーデッタ。念願の黄金境まであとほんの僅か。…だが、インカ皇帝アタワルパには最強の呪術師ジャガーが付いておるというではないか。奴の始末は頼んだぞ」
「なにをびびっておるのか将軍よ。アタワルパなどただの原住民の族長に過ぎん。ジャガーまた然り。まもなく、われらの血塗られた勝利はキリストの処刑と同様に確実な歴史となろうぞ…  その暁には、おぬしらには船に積み切れぬほどの黄金を、この婆には永遠の若さを保てる百人の太陽の処女の血を…」
  三人の侵略者の頭目は、欲望に血走ったお互いの目を見つめ合い、不気味に微笑み合いあった。

  湖に落ちたコンドルは、幸運にも溺れる寸前意識を取り戻した。先ほどの落雷のせいで羽根の先は黒く焦げ、頭はくらくらしたが、とにかく命のあったのは儲けものだった。
「レテッ!」
  彼は再び大空に舞い上がってレテを捜そうとしたが、羽根を折るかくじくかして思い通りに動かなかった。自分と同じように湖に落ちたレテが溺れているところを想像するといても立ってもいられなかったけれど、羽根は動かそうとする度にひどい痛みが走り、何もできなかった。
『レテッ!  …それにしてもあんな急激な天候の変化、まるで魔法を使ったかのようだ』
  彼はようやく低い木の枝の一つに止まってこれまでのことを振り返った。
『とにかくレテを捜さなくては…』
  そう考えた時、彼ははじめてレテとともに頓服するとによって自由に鳥と人間の姿を行き来できる例の黒い粉薬の入った翡翠の小箱を無くしたことに気がついた。
『あれがないと永久に人間に戻れない!』
  そう思うと目の前が真っ暗になった。
『レテが持っていてくれているのだろうか?
  もしもバラバラになってしまっていて、残りたった一包みの薬が他人に使われてしまったら、永久にこの姿のままだと思うと、大いに焦った。
  しばらくするとアタワルパ皇帝が狩りをする時の勢子たちが獲物を追う時の掛け声が聞こえてきた。リスやウサギなどの小動物がしきりに湖のほうへと追われて行く…  だが動けないコンドルは、もう運命を受け入れるつもりになって勢子たちが弓矢や槍、盾を構えながら輪を縮るようにして近寄ってきても、動かずにジッとしていた。
「見ろよ!  このコンドル、雷に打たれて怪我をしているぜ」
「帝国の守護鳥である神の鳥だ。離宮に運んで手当をするのだ」
  勢子たちの相談する声が聞こえる。コンドルはそのままジッとおとなしくしていて、宮殿の中に運び込まれた。
  人間の姿のままなら、おそらく一生中を見ることもなかったアタワルパ離宮…  切り石で組み立てられた巨大な建造物。
  彼はその広々とした一角で、皇帝の牧場の獣医師から入念に手当を受けた。
「羽根を捻挫しておる。折れた訳ではないので、四〜五日でよくなるじゃろう」
  獣医師は弟子に説明していた。コンドルは口の先まで言葉が出かけていたが、まだ用心して黙っていた。
  その夜、枝木に止まったまま眠っていた彼の耳に、「シクシク」という子供の泣き声と「殺されるのなら、お家に帰りたくないよ」というか細い声が聞こえてきた。どうやら生贄に供される子供たちの家からだ。
『おかしいな』
  コンドルは小首をかしげた。
『生贄の子供に選ばれることは大変な名誉のハズだ。村々から選ばれた子供たちは、ここカハマルカの離宮や、南に一○○○キロのクスコの正宮殿で、皇帝陛下から直々に言葉と御馳走と土産を賜り、それから再び故郷の村に帰って、生き埋めにされるか、谷底に突き落とされる。
  この生贄のお陰で、皇帝陛下は苦しみや病気から免れ、帝国は繁栄する。
  それなのになぜ泣いているのだろう?』
  しばらくしてピシリピシリという鞭の音が何回か聞こえたかと思うと、静かになった。
  夜更け、コツコツとした静かな足音とともに、ビキューナの毛で織られた貴族の官服に身を包んだ一人の呪術師が見回りにきた。
  コンドルにはその若くてハンサムな、しかも高位の呪術師を表す頬の刺青に見覚えが
あった。マチュピチュの神殿から彼を追ってきたジャガーが変身した男だ。…しかし、人間の足では、早籠を乗り継いでいくら急いでも一○日はかかる。すると…
「やあ、コンドル君。また会ったね。おっと、おとぼけはなしだ。お互いにね…」
  その男、内戦に負けたワスカルの元部下で、帝国の呪術師長ジャガーの、知的で穏やかな言葉に、彼は冷や汗を流した。
「…早速だが、裏切者レテと、翡翠の小箱の中にあった薬を返してもらおうか。あれがないと我が心の主君ワスカル殿下と、わたしの一族が無事森に逃げおおせることができないのだよ。…もっとも、その姿では、もうかなり使ってしまったらしいがね…」

  巨大なコンドルが屋根を突き破って飛び立ったことに驚いて逃げ出した兵士たちに紛れて脱出に成功していたティコは、持ち前の足の速さを生かして、しばらくはそのコンドルを追いかけていたが、本物のコンドルに追いつけるはずもなく、途中でとうとう見失ってしまった。
  ゼエゼエと息を切らせて道端に倒れ込んだティコの鼻にうまそうな水と水草の匂いが
漂ってきた。そこで彼は這うようにして水辺に降り、プロの走り屋らしく、ゆっくりゴクリゴクリと水を飲んで手で唇を拭い、辺りを見回した。そこは見慣れた近所の小さな湖だった。
『それにしてもあのでっかいコンドルは何だ?おいらの友だちのコンドルは一体どこに消えちまったんだ?  …まさかあのコンドルがコンドル、なんてことはないだろうな。おいらの友だちのコンドルはただの飛脚で、呪術師じゃないんだから、まさか鳥に変身できるなんて…」
  そして、懐の中からなにやら魔法の鳥の羽根を取り出して、しげしげと眺めた。
「仕入には高くついたけれども、このままあいつを放っておく訳にもいかないし、あいつのせいでおいらもお尋ね者になっちまったんだからな!  …でもこの『魔法の鳥の羽根』本当に効くのか?  …いかんいかん、商人が自分の商品を疑ってどうする?」
  彼はその使い捨ての魔法の鳥の羽根を天にかざして祈った。
「おいらを二人と同じ場所に!」
  途端にティコの体は何所へともなく瞬間移動した。が、そこは湖の中だった。
「な、何だこれは?  どういう訳だ?」
  ほんの少し泳いで向こう側の岸に移ると、服の水をギュッと絞って、再び走り出す準備を整えかけた。
『それにしても、ここはどの辺だ?』
  とその瞬間、それまでカラリと晴れていた空が急速に墨を流したかの如くに闇に閉ざされ、ビカッと電光が走りドカーンと雷鳴が轟いた。
「なんだ、なんだ!  きょうは都で呪術師の寄り合いでもあるのか!」
  ティコは転がって大きな木の下から水辺の草むらへと逃げた。飛脚として雷の際は巨木の下は危ないことはよく知っていた。
  そして再び顔を上げた時、稲妻の端に打たれたコンドルが、アクリャともどもまっさかさまに落ちてゆくのを見た。
「うわっ、やられたッ!」
  アクリャのほうはバシャーンと水しぶきを上げて湖の真ん中に落ちた。コンドルのほうは途中キリモミをしながら、なんとかジャングルに降り立ったようだが、そのまま二度と飛び立たなかった。
『もう死んでいるかなぁ…  でも放っておいたらどの道溺れ死んでしまうよなぁ…」
  浮き輪の代わりに手頃な枯木を抱いたティコは全速力で湖の中央に向かって泳ぎ、水の底に沈みかけていたアクリャの胸に耳を当てて生きていることを確かめると、何とか岸に助け上げた。
「やれやれ…  …でもこうして見ると、やはりきれいな人だな…  そう言えばおいら、掟破りの大変いけないことをしているんだよなぁ…」
  そんなことをつぶやきながら、レテの頬や胸を触ったりつついたりしていると、やがて彼女はパッチリと目を覚ました。
「やった!  気がついた。気分はどう?」
「ありがとう。あなたが助けてくれたのね。本当にありがとう…」
「じゃあまず聞くけど、コンドルはどこに
行っちまったんだい?」
「コンドル?」
「あんたを乗せていたヤツだ。…森でケガをしていたあんたを、無理やりおいらの家に連れてきたヤツだ!」
「わからない…  思い出せない…」
  彼女は頭とせっかくふさがりかけていた肩の傷口がひどく痛むらしく、目を閉じて眉をしかめ、両手で髪の毛を掻き上げた。
「…みんな忘れてしまったわ」
「なんということだ!」
  ティコは彼女と同じように自分の髪の毛を滅茶苦茶に掻きむしった。
「キミに聞けば、何でも分かると思っていたのに…  …そうだ、翡翠の小箱の中の薬のことは覚えているかい?」
  レテは悲しそうにかぶりを振った。
「そんな…  そんな、おいらどうすりゃいいんだよ?  こんなことだったらせめて名前だけでも聞いておくんだった…」
  ティコは頭を抱えてしまったが、やがて決然と立ち上がった。
『この娘の記憶喪失を治療してもらいたいけど、皇帝の呪術師団にはすでに触れが回っているに違いないし、こうなったら彼女を乗せていて墜落したコンドルを捜すしかないな』
  そう思ったティコは彼女からアクリャの黄金の冠を取り外そうとした。
「なにをするのですか、無礼な!」
  レテはティコを思いきり平手で殴った。
「そんな…  その冠をつけたままウロウロしろと言うのかい?  そりゃあ死ねと言ってるのと同じだよ!」
  ティコはベソをかいたが、要するに、そういう運命だった。

                2

  一方その頃、カハマルカの離宮の一室。
  神鳥の姿のコンドルは、そ知らぬ顔で至れり尽くせりの手当を受けたまではよかったものの、呪術師長のジャガーにその正体を見破られ、すくみ上がっていた。
「裏切者レテと翡翠の小箱はどこだ?  わたしは気が長いほうでもなく、寛大な人間でもないぞ」
「知るもんか!」
  コンドルは羽根を羽ばたかせて飛び上がろうとした。
「王の賓客は王に断りなく帰ってはいけない…」
  ジャガーがパチリと指を鳴らすと、四角く切り抜かれた石囲みの窓に石の扉が降りた。
  部屋の中はユラユラと燃え続ける蝋燭の光だけになった。
「もう一度だけ聞いてやる。どこだ?」
「知っていても教えないよ!」
  ジャガーの身体全体から黒い邪気がモワッと立ち上ったかと思うと、じょじょにその姿を変えはじめた。手足をはじめ体には黒くつやつやとした美しい毛が生え、両手を床に着く感じで四本脚の獣と化した。だが、不気味なことにその顔や目などは人間のままだった。
「研究は進んでいるものの、あの翡翠の小箱の中の薬がなければ、完全な変身は果たせないのだ!  …あの薬がなければ、我が心の主君、ここより少し離れたクスコに捕らわれの身のワスカル殿下を逃して差し上げることができない!」
「ワスカルは反逆者だと聞いているけれど」「とんでもない!  常に我々臣下や領民のことを心にかけて下さっている立派な主君だ。わたしのことも『今回の反乱は自分…ワスカル一人が計画したことで、ジャガーは一切関係ない』とかばって下さった!」
  コンドルは困った。
『一体どちらの言い分が正しいのだろう?
  それにしても小鳥と違ってこの体は大きすぎる。こんな小さな部屋の中では飛び上がることはもちろん何もできず、たとえ不完全な変身でもジャガーのほうが圧倒的に有利だ…』
  だが不思議なことにジャガーは「ウウ…」と唸り声を上げたきり、間合いを計ってばかりいて、なかなか襲いかかってこない。必要以上に慎重に用心をしている。
  コンドルは「適わぬまでも!」と、その一対の巨大な羽根を一振り羽ばたかせた。
  するとどうしたことだろう、一陣の鋭いつむじ風が起こったかと思うと、小さな竜巻となってジャガーを直撃した。ジャガーはそれに備えて身をかわそうとして一瞬遅れ、美しかった毛をズタズタにされた。
「おのれッ!」
  怒ったジャガーは、今度は金色のオーラを立ち上らせた。しかし、本人が言っていた通り、何かが不充分らしく、光線となってコンドルに迫ったそれは、命中しても羽根がくすぶるくらいの力しかしなかった。
「くそッ!」
  爪を剥き、肉弾戦を挑もうとしたジャガーに、コンドルはもう一度衝撃波をお見舞いした。今度はジャガーもいち早く逃げてかわした。竜巻は石に閉ざされた窓に命中し、粉々に砕き破った。
「これでは近寄れぬ…  あの薬がこれほどまでに威力があるとは…」
  コンドルは壊した窓を背にしてジャガーを見つめた。
「…欲に狂った白い人間たちが、帝国を乗っ取ろうとして迫って来ているというのに、たとえ内戦に負けたワスカル首長に恩顧を受けたとはいえ、今はアタワルパ皇帝陛下の家来であるあんたが、こんないい加減なことをしていていいのかい?」
  それに対してジャガーはニヤリと笑い、びっくりするような言葉を吐いた。
「笑止!  インカ帝国など滅びてしまえばいいのだ!  頭の悪いアタワルパに忠誠を貫く気などさらさらない!」
「なんだって?」
「貴様は何も分かっていないのだな。…せっかく無敵の鳥に変身するという僥幸を得ながら、世界を見てこなかったのか?」
「見ていない。…海へ出て、白い人々の乗った大きな船を見たくらいで…」
  コンドルは少しうろたえた。
「まぁ豚に真珠というところか。小僧、教えてやろう。インカ以外の世界、遥か海の向こう、ヨーロッパも中国も、日本も、戦争に次ぐ戦争に明け暮れている。インカの戦争は、主に面子を立て、名誉を守る為の戦争だが、かれらのそれは生き残るか滅びるかといったギリギリの戦いだ。火の矢を撃つことのできる鉄砲など、われわれが全く知らない新兵器を容し、神に背く黒魔法も、当然われわれのものよりもずっと強力だ。そんな奴らに睨まれた日には、このジャガー様とて、とても太刀打ちできぬ。しかし、かと言って軍門に下るのはあまりにも惨め  …そこでわれらエリート呪術師一同は動物に変身し、帝国の落日を見届けることにした。ワスカル殿下もわが一族も、鳥や獣に変身して森に落ち延びることにしたのだ。
  それをレテの奴、何が気に入らないのか、苦心惨憺の末ようやく完成した六包の秘薬を持ち逃げし…」
「気に入らないのに決まっている!」
  コンドルは叫んだ。
「裏切者はあんたのほうだ、ジャガー!」
「下賎のおまえには分かるまいが、学問を積み、一族の責任を担う地位になればわたしと同じことを考えるようになるさ!」
「バカなッ!」
  コンドルは羽根を大きく広げると、フワリと窓の外に飛び出した。
  ジャガーは少しだけ追いかけて届かなぬと見て立ち止まり、悔しそうにこちらを見つめている。
「翡翠の小箱の中の薬、せいぜい大事にするんだな!  あれがなければおまえは永久に人間には戻れぬ!  もっとも一生そのままの姿を通すほうが、力もあり、面白ろおかしく生きられるだろうが…」
  自らの魔法の力で元の呪術師長の姿に戻ったジャガーは叫んだ。
「うるさい!  ぼくは絶対に人間の姿になって戦うぞ!」
  高度をグンと上げると、王宮の一角を派手に壊したことで集まってきた兵士や呪術師たちがどんどんと小さくなり、豆粒となって消えた。

                3

  はるばるスペインから海を渡ってきた「征服者」…コンキスタドール…のピサロ将軍兄弟と魔女のカーデッタ、それに六二名の騎兵と二○○名の歩兵たちは、中継基地である南インド諸島で補充し連れてきた馬に乗って着実に歩を進め、都クスコよりおよそ一○○○キロ離れた、皇帝の離宮のあるカハマルカまであと少しという所までやってきた。
  沿道の人々、及び肝心のアタワルパとその使者たちには『白い人』を皇帝の腹違いの弟で首長の一人であるワスカルとの抗争の援軍として利用したい、という腹づもりがあったから、ピサロ一行は一応の歓迎を受けながらここまでやすやすと進んでこれたのだった。「これは素晴らしい!  インカには文字がないそうだが、ここに織り込まれた図柄はその歴史を語り尽くしておるな…」
  贈り物として差し出された絢爛豪華な織物を見て、ピサロは思わず嘆息した。それはもちろん、アクリャたちが長い年月をかけて、その一機(はた)一機に自分たちの帝国の繁栄と安寧、鎮護の祈りを込めて織り上げた壁飾りであった。
  しかしピサロはその中に、永年黄金境を尋ね求めてきた山師として、その存在のヒントとなるような絵を文字通り穴が開くほどむさぼり眺めた。無論、期待できうる訳がなく、万に一つ描かれていたとしても、それがそれであると理解されうるはずもないことだったが…
  弟のエルナンドは兄の名前で、カスティリヤ製のまっ白なシャツを使者に対して答礼として送った。インカの使者たちは、白い人がくれたまっ白い布のシャツの漂白された白さに驚いたが、『白い人には自分たちの歴史がないのか?』という問いを発した。そこで、エルナンドはあわてて、自分たちの国にも長く栄光のある歴史のあること、それはインカと同じく布に織られることもあるということを説明し、今度機会があれば忘れずに皇帝に対する捧げ物として持参することを約束した。
  ピサロ一行は荒れ果てた港町を後にして山に入り、アタワルパ皇帝が現在静養しているカハマルカの離宮を目指した。アタワルパ側に味方するフリをするか、この時すでに本人は謀反に失敗して捕らわれの身になっていたものの、まだ各地に有力な残党と勢力を残していたワスカルの側に付くように装うかは当初未定だったという。ピサロがアタワルパに味方するフリをして、そのじつインカの貯えていた巨万の黄金を掠奪したのは、インカにとっては恐るべき偶然の不運であり、ピサロたちにとってはその逆だった。なぜならば、内戦に負けたワスカルの側の黄金はごく僅かだったからだ。…もっとも、先代の皇帝ワイナ・カパックの妾の子であるとはいえ、正統な皇帝であるアタワルパが、正妻の子であるとはいえ、一首長に過ぎなかったワスカルよりも富も権力もあろうことは容易に想像のつくことだが…
  一行は、コンドルやティコたちが飛脚、すなわちチャスキとして日夜走り働いている、美しく舗装されたインカ道を通り、名もない小さな湖のほとりに出た。ピサロは早速それまでと同じく、湖の神に捧げられた黄金がないか湖面をジッと見渡してみたり、使者がよそ見をしている隙に、自ら喉を潤すフリをして水底に目を走らせたりした。
  すると、残念ながら供物である黄金の輝きは確かめられなかったが、その代わりに水辺のごく浅いところに沈んでいる緑色の宝石箱を見つけた。
『これはなんと幸先がよい!』
  ピサロはインディオに見つからぬようにして、ジャブジャブと浅瀬に歩を進めると、魚をつかもうとしているようにして、その小箱を懐に隠した。それから本当に人なつっこく寄ってくる虹色の魚を両手につかみ、岸に上がった。
  その光景を見たインディオたちは口々に、『これは小さくとも神の湖の一つだから、皇帝陛下のお許しなしに魚を取ってはいけない』と忠告した。
  ピサロは、平身低頭して陳謝し、虹色の魚を湖に逃がした。彼は内心笑いが止まらな
かったことは言うまでもない。
  その夜のキャンプで、ピサロはただちにそれを確かめて見た。…インカに来て初めてのお宝。まずは弟のエルナンドにも、魔女でメイン・ブレーンのカーデッタにも内緒でだ。
  蝋燭の明かりで見ると、それは大変精巧な彫刻の施された翡翠の小箱で、図柄は、草やら動物やらが主で、堝で煮炊きしている場面や、それぞれの原料の割合を示している絵もあり、何か薬の製法を表しているように思われた。まぁ、小箱自体は結構値が張るだろうが、ヨーロッパにももっとよいものがある…
  そこで彼は勇躍箱の蓋を開けた。中身は黒い粉薬が一包。すでに服用されたらしい五包が入っていた。
  あっさり「これは俺の手には負えない」と思ったピサロは、弟とカーデッタを呼んだ。
「実は昼間偶然こういう物を拾ったのだが」
  彼は何喰わぬ顔で眉を潜めて切り出した。「フム、これはアラビアあたりの、コーランには従わぬ魔法使いどもが調剤する動物に変身できる薬じゃ…」
  カーデッタはたちどころに薬の内容を当てて見せた。
「…同じ物がインカにもあるとは、不明にして知らなかったわい…」
「おお、さすがカーデッタ!」
  ピサロとエルナンドは跳び上がって喜んだ。「では早速試してみよう!」
  冒険好きのエルナンドが包みを開きかけたが、カーデッタは慌ててその手を取り押さえた。
「変身はできるじゃろうが、再び人間に戻る分がないぞえ」
「!」
「最後の一つが使われてないということは、まだ誰かが何かに変身したまま、ということか?」
  ピサロの問いに魔女は黄色い歯を剥いて頷いた。
「安心おし、この箱にはこの中の薬の製法がちゃんと刻まれているよ。しかしわれらの住むヨーロッパにはこの草は生えず、この獣はいない。しかし、インカには…」
「そうか、そういうことか!」
  それを聞いて二人の野心家の目には野望の輝きが戻った。
「ではこれはその日が来るまでこのわしが大切に預かっておこう…」
  ピサロは大いに満足して、小箱をしまった。

                  4

  コンドルは途方に暮れながらも、せめて迷惑をかけたティコに一言詫びを言おうと、一羽ばたき、アッという間に一○○○キロを飛行して、彼の家の上空に舞い戻った。
  すると、その家は皇帝の兵士が厳重に回りを固め、呪術師が彼の家にあった品物を、どんなにつまらないものでも一つ一つ軒先に並べて点検している。
  ティコ本人の姿はない。どうやら無事に逃げおおせた可能性大だ。コンドルは念のため近くの木立の上に止まって、その下の木陰でさぼっている兵士に、自分の姿を見せないようにして尋ねた。
「おい、ティコとアクリャは捕まったか?」「まだだ」  その兵士はイライラした様子で答えた。「しょうがないから、ティコの家族と、アクリャを連れ出したらしいコンドルとかいう不埒者の家族を打ち首にするために、いま隊長が村に向かったところだ」
「なんだと!」
  コンドルは激怒してその兵士の前に鳥の顔を突き出した。
「それは本当か?」
「ひ、ひえーっ、お助けを!」
  人語を解するコンドルに、その兵士はすくみ上がって土下座した。
  コンドルはバッと大きく羽ばたいたかと思うと、次の瞬間にはもう大空の点となっていた。
  隊長はひどく焦っていた。
『アクリャ誘拐の大罪、なんとしても裁かねば、民草に対する示しがつかぬ。…当事者が逃亡中である以上、法に従い犯人の家族を処刑するまでだ』
  隊長は腕利きの首切り役人を揃え、さらにこの間のようにコンドルが現れて真空波での攻撃を仕掛けてくることを予測して選り抜きの弓隊を従え、おまけに自分が要請でき得る限りの呪術師を頼んで村に赴き、コンドルとティコの家族を捕縛した。
「うちのコンドルはチャスキとして真面目に働いているよい子です。アクリャさまを攫うなど、そんな大それたこと…」
  コンドルの両親は、不安の為泣き濡れるコンドルの弟や妹たちを必死で庇いながら申し開きをした。
  だが、コンドルの母親には、例の、ほんのかすかな心当りがあった。
『まさか、まさか、あの…』
  かれらにも増して取り乱したのはティコの一族郎党だった。
「うちのティコには女友だちもいます。物々交換で生業を立てる為に物をコツコツと貯えていたのです!  これは何かの間違いだし、もし何かあったとしても、巻き込まれただけに違いありません!」
「うるさい!  冤罪ならばなぜ本人が出てきて釈明しないのだ?」
  隊長が手を上げると、首切り役人たちの槍が一斉にかれらの心臓に当てがわれた。
「待てッ!  いまからその弁明をする!」
  大空から声がした。
  一堂が空を見上げると、一羽の巨大なコンドルが小さな弧を描いて村の上空をゆっくりと舞っていた。
  その場にいた人々のうちのほとんどは、勿論その正体を知らなかったが、ただ一人、コンドルの母親だけは、その雄大な巨鳥に息子の面影を見た。
「皆の者、あれは、姿形こそコンドルだが、実際は、昨日アクリャを拉致した重罪人が化けたものだ。従って、撃ち落とせば元の人の姿に戻ることは必定!
  弓隊狙え!  …呪術師の先生方、どうかよろしくお願いします!」
  隊長の号令と共に、弓手たちはさっと弓を上げ、呪術師たちは一心不乱に呪文を唱え始めた。
「こっちがちゃんと説明するつもりなのに、鼻から聞くつもりなんかないんじゃないか!」
  コンドルはバッと羽ばたいて、竜巻の真空波をお見舞いした。放たれた弓は、まるで雹のようにそれを射た弓隊に降りかかり、全滅させてしまった。
  隊長が頼みとする呪術師たちの呪文は空に風を、天に稲妻を呼んだ。
「おっと、ここでやられちゃ昨日と同じだ」
  コンドルは急いで急降下すると、その鋼の羽根で呪術師たちや、うろたえて逃げ惑う首切り役人たちを跳ね飛ばした。
  彼はちょっと懲らしめて妨害できればいい、くらいに考えていたが、その羽根の威力は自分でも制御できないほどに強大で、呪術師たちの胴体をまっ二つに切断し、直撃を免れた役人たちの体も、鎌鼬でズタズタに切り裂いた。
  もう少しで危うく彼とティコの家族まで傷つけてしまうところだった。
「お、おのれ、一度ならず二度までも!」
  深手を負った隊長は、手にした槍を投げつけて最後の抵抗を試みた。
「わしとて再びおめおめと逃げ帰ることなどできぬ!  インカの叱責は賜死だ!」
  コンドルはゆっくりと旋回して、たった一人生き残っている隊長に狙いを定めた。相手が次の一撃で死ぬのは分かっていたが、憎悪に駆られた彼は、許すつもりはなかった。
  ところが、鋭い嘴を向けて急降下する彼の目の前に、一人の年老いた女が立ちふさがった。
『母さん!』
  仰天したコンドルは慌てて急上昇した。もう少しで自分の母親を殺してしまうところ
だった…
「コンドル!  おまえはわたしの息子、コンドルだろう?  無益な殺生はやめておくれ!おまえが本気で戦わなければならない敵はきっと別にいるよ!」
「母さん!」
  低空で飛ぶコンドルが喋ったことで、居合わせた人々は腰を抜かすほどに驚いた。隊長は我と我が耳を疑った。
『神鳥の姿でありながら、人の言葉を喋れるのか? そんな凄い呪術は、ジャガー様くらいしか使えないはずだ!』
  彼は油断なく、近くの低い建物の藁屋根に舞い降りると、いままでに起こったとても信じられない出来事を逐一話した。
  コンドルが語り終えても、一堂は目を丸くしたままだった。
「その船に乗った『白い人』というのは、私も聞かされたことがある」  隊長はポツリと言った。「連中の火を吹く弓や、馬のことも知っている。アタワルパ皇帝陛下は『連中と手を組んで、ワスカル首長との抗争に利用できないものか?』と申しておられた」
「レテの言うことには、『白い人』はアタワルパ陛下とワスカル殿下が仲が悪いのを利用して、この国…インカを乗っ取るつもりらしい…」
  コンドルがそう付け加えると、人々の表情は恐怖に変り、めいめい勝手なことを叫びながら、それぞれの家に逃げ帰った。
「もしおぬしの言うことが本当だとしたら、こんなことをしている場合ではない!  ただちにそのことを陛下の側近に、是非直訴、お伝えしなければ!」
  隊長は血相を変えて走り去った。
  コンドルはジャガーの「皇帝陛下を見捨てて、ワスカル殿下や自分たちの家族を鳥や獣に変身させて逃げる」という大逆計画まで知っていた訳だが、そんなことはおくびにも出さなかった。チャスキは荷主には決して口出しをしない。すなわち、自分に関係のないことは喋らないように訓練されているのだ。

  都クスコのに逃げ帰った隊長は、いつもは米つきバッタのように陛下や将軍、大臣どもにペコペコしているジャガーの部下の呪術師どもが宮殿に満ちあふれ、我物顔で廊下の真ん中を闊歩しているのに異様な気配を感じた。
 彼らが何かとてつもない後ろ盾を得て勢いづいたらしいことは、女官たちや下働きの者たちの怯えかたを見ても明らかだった。
『あのコンドル…小僧が言っていたことはどうやら真実のようだな。これは一大事だぞ…』
  ワスカルを捕らえている牢獄を固めているアタワルパの親衛隊もそのことを察してビクビクしているのが手に取るようにわかった。
  しかしワスカルは地位も名誉もある有名人であるから、ジャガーの導きで逃げたところで、アタワルパの数に物を言わせた追っ手に会い、皆殺しにされるだけだ。
『自分に「レテと翡翠の小箱を追跡せよ」と厳命したのもジャガーなら、小僧と小僧が変身したコンドルの前で豹に変身したのもジャガーに違いない。自分も皇帝陛下に仕えて幾千歳、かような高度な術や薬を自由自在に操れるのは、きゃつを置いて他には知らない。どう考えても臭い…  何かある…』
「呪術師長のジャガー猊下はおられませんか?至急呪法で遠く離れたカハマルカ離宮のアタワルパ皇帝陛下に連絡を取って頂きたい!」
「アタワルパの阿呆なら『白い人』に殺されるがよかろう…」
  玉座から不気味な声がして、隊長はすくみ上がった。震えながら振り向くと、玉座にふんぞり返ったジャガーがニヤニヤと笑っていた。昨夜はその一○○○キロも離れたカハマルカにいたことを、隊長は知るよしもない…「ジャガー、貴様ッ!  やはりワスカルの子飼いだったか!  …それとも王冠と黄金に目がくらんで…」
  隊長は槍を構えた。
「やれやれ、また同じことを言わされるのか?あの小僧にも言ったのだが、私は王冠にも黄金にも興味はない!  ただ、この細々とした命が惜しいだけだ…」
  ジャガーはそう言って立ち上がり、掛けていた椅子…玉座を蹴った。壁に当って壊れた黄金の椅子は足が折れ、装飾品の宝石が木の実のようにこぼれ散った。
「もしそれが本当なら、許されない憶病者だ!」
「そうかな?  富も権力も命あっての物種だ。たといどんな立派な墳墓に埋葬されても、二度と陽の目も拝めなければ、家族と語らうこともできぬ。先王ワイナ・カパック陛下の命を奪った恐ろしい病気、天然痘もまた『白い人』が運んできたものだ。王のみではない、貴族も神官も、民衆も、バタバタと倒れた。連中は病気の元を撒き散らしながら、国じゅうを濶歩し、欲する宝の下見をしているのだ。…おぬしも命が惜しければ、このまままっすぐ家に帰り、荷物をまとめて尻をまくることだ」
「裏切者!」
  隊長は槍をまっすぐに構えてジャガーに襲いかかった。
「分からん奴だな。私は命が惜しいし、その為には私に関係のない奴の命まで面倒を見きれんのだ!」
  ジャガーの手にした杖から一条の光がほと走ったかと思うと、アッという間に隊長の体を焼き尽くした。
「…ほら、もう何も思うこともできず、考えることもできない。アタワルパや貴様のような浅薄者には、このほうがかえって幸せであろう…」
  灰をつま先で蹴って散らせながら、ジャガーは自分を納得させるようにつぶやいた。

  それより少し先、頭にはアクリャの冠を載せ、アクリャの純白の衣装を着たレテを連れたティコは、自分が魔法の鳥の羽根を使って、なんと一○○○キロの道のりをアッという間に瞬間移動したことに驚いていた。そして、ちゃんとした道を通ることもできず、自慢の友だちや仲間の助力を得ることもできずに、難儀往生していた。
「えーい、止めた止めた!  おいらは家族のことが気になってしょうがないんだ。アクリャと悶着を起こしたとあっては、みんなの首がはねられるからな!  おいら一人が公道をひとっ走りすれば、一○日で帰れるんだ。
  頼むから、もうついて来ないでくれ!」
「待って下さい!  わたしも辛いのです」
  レテは彼の裾に取りすがった。
「…わたしは、今度の帝国の危機に際して一命を投げ出すつもりで…」
「だから『危機』とは何だよ?  で、どうするつもりだったんだよ?」
「分かりません…  思い出せません…」
「だからさ!  そこは方便だよ。一時だけこの冠を外し、着物を変えてくれれば、何とかしてあげられるんだ」
「嫌です!  この姿でないと、『黄金の太陽像』を守る資格が…」
『なんだよこいつ、記憶はなくしている癖に、自分の仕事のことだけはしっかり覚えているのかよ!』
  ぼやきつつティコははたと手を打った。
「そうか!  わが帝国の守護神と言えば、太陽と月…  その御神体を表す『黄金の太陽像』と『純銀の月の像』に終生使えるアクリャの中の選り抜きのアクリャがいると聞いているぞ。あんたの使命はきっとそれだったんだ!」
「お願いしますティコ!  『黄金の太陽像』をどうか悪者たちの手から守って下さい!」
「わかった!  …と言いたいけれど、おいらなんか頼りにしないで、もっとちゃんとした英雄に頼みなよ!」
「例えば?」
「えーい、コンドルだ!  とりあえず事情を知っているコンドルを捜そう!」
  どこからか、体をスッポリと被うケープとフードを借りてきたティコは、それをレテに着せて、近くの村・カハスに入った。
「おかしいなぁ。確か今日は市の立つ日だし、いつもならもっと賑わっているはずなのに…」
  閑散とした村の中央広場を見渡しながら、ティコは表情を曇らせた。
「おい、一体どうしたんだ?」
  通行人をつかまえて、彼は尋ねた。
「知らないのか?  コンキスタドール…征服者…である『白い人』たちが、都の陛下に会う途中、この村に立ち寄られたのだ」
  相手は震える声で答えた。
「白い人たち」と聞いて、二人は思わず顔を見合わせた。
「そいつらだ!  おいらたちの宝を荒らしに来たのは!」
  ティコは思わずあたりに目をやった。誰もいない。
「…で、今そいつらはどこにいる?  村の集会所か?」
  通行人は腰を抜かして地面に座り込み、レテはティコの服の裾を引っ張った。
  一呼吸前にはだれもいなかった広場には、襞のあるコートに短ズボン、長靴に白い絹の襟飾りをつけ、羽根帽子というスペイン軍の制服姿のピサロとエルナンド、不気味な黒衣の魔女カーデッタ、それに六二名の騎兵と二○○名の歩兵が突如として現れ、三人の回りを取り囲んでいた。
「!」
「坊ちゃんにお嬢さん、さっきあなたがたが話していた『黄金の太陽像』のことだけど、どれくらいの大きさなのかな?」
「どこにあるの?  皇帝陛下にお願いしたら見せてもらえるかな?」
  ピサロとエルナンドは口々に尋ねた。
「知るもんか!」
  ティコはレテたちを庇いつつ一歩退いた。「そこの頭のよさそうな少年!  もしかしてキミは我々のことを誤解してるんじゃないか?」
  ピサロは手を差しのべながら近づいた。
「おいら、ティコという立派な名前があるんだ!」
「ティコ君、我々はこの村の人々から、『皇帝がこれ以上生贄の子供を求めないように頼んでくれ』と頼まれてね…」
「本当か?」
  ティコが確かめると、通行人の男はコクリと頷いた。
「人身御供など、実に野蛮に風習だよ。すでに海の向こうの我らの国では、イエズス様の御教えに従って、絶対にやってはいけないことになっている…」
  それを聞いてティコの心は動いた。…いくら国家の為、皇帝陛下の為、大変な名誉なこことは言っても、生贄に選ばれることの辛さを、彼もまた知っている。
「騙されないで下さい!  どんなにいいことを言っても、彼らの最終目的は泥棒です!」
  レテは叫んだ。
「しかしなぁ…」
「見かけ通り頭のいい子だ。…その格好からすると、将来は立派な交易商人になりたいのではないかね?」
「なりたいです!」
「我らの国、スペインでは大商人が王候貴族と同じ位の大きな屋敷に住んでいるぞ。つまりそれだけ社会の中で重く用いられているということだ」
  ピサロは騙すことの他に、まともに他人を説得することもうまかったと言う…  彼はその自慢の「口先三寸」で時のスペイン国王・カルロス一世、すなわち神聖ローマ皇帝カール五世を説き伏せて、軍人と言うよりも大山師に過ぎなかった自らをペルー総督という破格の地位に着けさせた。
「本当か?」
「本当だとも!」
「にわかには信じられないよ。もっと話を聞きたいな…」
 ピサロにとって、田舎の飛脚のティコを丸め込むことなど、赤子の手をねじるようなものだった。
「どうぞ我々のほうに来たまえ!」
  ピサロは貴人を招く際の手招きをした。
「悪いな…」
  ティコは伏し目がちに去りながらレテに謝った。
「きっと後悔することになると思うわ!」
  レテはティコを睨みつけた。
「おいおい、そんなふうに脅すのは大抵悪者のほうなんだぜ!」
  一方ピサロの側の魔女・カーデッタも、レテのことをあの稲妻で打ち落としたコンドルに乗っていたアクリャであることに気がついた。兵士たちの陰に下がった二人はボソボソと相談した。
「疑われずに捕らえられるか?」
  ピサロは勢い込んだ。
「勿論!  お安い御用です!」
  カーデッタはフラリとレテの前に歩み出ると、その黒く澄んだ瞳を見つめて術をかけた。レテの瞳は途端に生気を失った。記憶を失ってさえいなければ、こんな不覚を取ることはなかったのだが。
「お嬢さんも話ぐらい一緒に聞かないかね?イエズスさまが起こされた有難い奇跡の話だ。スペインの珍しい物や飾りも見せて上げるよ」
「では、お話だけ…」
  操り人形と化したレテは、ティコについてピサロたちに従おうとした。

  二人を捜して大空を飛んでいたコンドルは、カハスの村の広場にウヨウヨとたむろしている白い人の兵隊たちをまず見つけ、その間にコンキスタドールに丸め込まれてかれらのテントに消えようとするティコとレテを、遥か離れた上空から確認した。
  以前から目はいいほうだったが、コンドルに変身してから一層よく見えるようになったようだ…  これも変身の効用だろうか…
「しまった!  ひと足遅かったか!」
  コンドルはぐんぐん急降下する。
「コンドル!」
  ティコはコンドルに気づき、嬉しさのあまり手を振りかけて、はたと止めた。
「…来るなコンドル!  ヤバいぞ!」
  ピサロたちも驚いた。
「水晶玉に写っていた奴だ!  カーデッタ、雷撃で撃墜した筈では?」
「今度こそ焼鳥にしてくれる!」
  魔女は呪文を唱えかけた。しかし間一髪間に合わない…
  ピサロとエルナンドはそれぞれとっさにレテとティコを人質に取った。
「寄るなッ!  それ以上近寄ると、こいつらの命はない!」
  人質を盾にされてコンドルは困った。これでは竜巻の真空波は使えない…
  兵士たちは鉄砲に弾丸を込めてコンドルを狙った。
「なんだよおまえら!  離せよ!  ついさっきあんなにおいしいことを言ってたくせに!」
  ティコはもがいた。記憶喪失の上、魂を抜かれたレテは人形のような空ろな目で茫然とコンドルを見上げている。
  そうこうしているうちに、カーデッタは呪文を完成させた。指先を掲げると、それまで晴れていた空を暗雲が覆い、稲妻が走った。「撃てッ!」
  ピサロの号令一下、鉄砲が一斉に火を吹き、雷光の網の目がコンドルにかぶさった。
  しかし前回のふい打ちと違って、今度はコンドルもかわす…
  弾丸を避け、稲妻をかいくぐりつつ、彼はピサロ一行に迫った。
「レテッ!」
「ほう、レテと言うのかい…」  術を撃ち尽くし、行き詰まったカーデッタは、レテにかけた催眠術を強化した。「それじゃあレテ、わたしに代わってあのしつこいコンドルをやっつけておしまい!」
  操り人形と化したレテは、喉元にナイフを当てて取り押さえていたピサロの太い腕を易々と振り解き、たった一人でコンドルの前に歩み出た。
「レテ!  早く逃げてこい!」
  コンドルは彼女を拾って乗せようと、地面ギリギリを飛んだ。そのコンドルに向かってレテは術を放つべく大きく腕を振り上げた。「レテ!  止めてくれ!」
  ティコはエルナンドの腕の中でもがいたが、こちらは喉の皮膚を切られて血が流れた。
「おっと、ジッとしてるんだ!  邪魔者がみんな片づいたら、おまえもあの世に送ってやる!  それまでは大切な人質だからな!」
  レテの細く美しい腕の先から閃光が走る。コンドルは間一髪かわしたが、彼女の放つ光が蜘蛛の巣のようにコンドルを囲んだ。
「いいよレテ、そのままやっておしまい!」
  レテはコクリと頷く。
  やがて動きを封じられたコンドルは、羽根を焼かれ、胴を焼かれて、少し離れた林の中に墜落した。
「よくやった、レテ!」
  ピサロは大いに喜んだ。
「あのしぶとかった鳥の死体を捜して来い」
  エルナンドは兵士たちに命令した。
「死体を確かめるまでは、おまえたちは大事な人質だよ!」
  カーデッタが蛇を投げると、それはレテとティコの身体に巻きついてロープに変わった。

  墜落したコンドルを捜しに行った兵士たちは林の中を銃剣で下草を払い退けながら進んだ。
「ないな」
「もっと奥のほうじゃないか?」
  兵士たちがなお念入りに捜しかけた時、木立の中に潜んでいた一匹の、身に余る大きなコンドルの死体をくわえていた黒い精悍な獣が音もなく忍び寄った。そして、強力な魔力の為に傷ついて地面に叩きつけられていたコンドルとその死体とをすり替えて、煙の如く逃げ去った。
「あった!  あった!  あったぞ!」
  そうとも知らず、獣が運んできた偽の死体を発見した兵士たちは、鬼の首を取ったかのように喜んだ。
  ピサロもエルナンドもカーデッタもホッとして、コンドルの死体を靴底で踏みつけた。「いくら魔力を持っていても、所詮鳥は鳥よ!…このレテとやらには『黄金の太陽像』のある処まで案内させよう」  ピサロはレテの頬を愛しそうに指先で撫でた。「ついでに今夜…」
「おっと、『太陽の処女』たちは、匂いで自分たちの仲間か、そうでないか、一瞬にして悟る、と言うよ」  カーデッタが釘を差した。「黄金にありつきたかったら、計画を全部完遂するまでお預けにしておくことだね!」
「しかしまあ一介のチャスキに過ぎないこいつは用済みでしょう!」
  エルナンドは縛られて身動きのできないティコに向かって剣を振り上げかけた。
「お待ちッ!」
  今度もカーデッタが制した。
「このコンドルの死体を見てご覧。首に獣に食いつかれた跡があるよ…
おまけに、少し腐りかけている。いくら何でも早すぎないかね?」
「すると…」
  ピサロとエルナンドの顔がサッと引き吊った。
「さすがに『エルドラド』…黄金境…と呼ばれるだけあって、この国にはまだまだ不思議な魔法があるみたいだねぇ…」

  翌朝、ピサロたちはカハスを離れて、インカ皇帝アタワルパが待つカハマルカの離宮に向けて出発した。
  一行は短く低い木々と下草しか生えていないアンデスの荒野を南に向かって縦走した。標高はところどころで四○○○メートルにも達して、寒さも大変に厳しく、兵士たちや馬が次々に風邪を引いた。
  要所要所に築かれた砦や要塞、それに関所。それらに付随した倉庫はどれも穀物や織物で満たされており、この国の豊かさをまざまざと見せつけた。
  石柱に支えられた板石でできた石橋、川面から三五メートルの高さにあるロープ製の吊橋では、全隊が一列になって恐る恐る進んだ。また、ケーブルのように吊り篭に乗って渡る橋もあり、全体として関守や川番の監視の目は想像以上に厳しく、皇帝の許可…印形を刻んだ通行手形がないと、旅はまず不可能のようだった。
  かれらはかれらなりの幾多の困難を越えてようやくカハマルカに到着した時、ピサロを始め一同の欲望は、目標である『黄金の太陽像』以上に大きくギラギラと燃え上がっていた。

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