ブライディー・ザ・マジックメイド
 「英国心霊協会 夏の夜話」

1.フィオナ・ウォーターフォード男爵令嬢が語る「黒い鳩」
2.デイジーが語る「廃宿」
3.ウォーレス博士が語る「猩々」
4.ポピーが語る「山師の茸」
5.クルックス博士が語る「白い凧」
6.ケリーが語る「勝負肌着」
7.ドッジソン教授が語る「魔女の仮面」
8.シスター・セアラが語る「海神の城」
9.ドイルが語る「瓶の中の虫」
10.ブライディーが語る「雪の中の母子像」
11.「お兄ちゃん」が語る「目の良い沖仲仕」
12.白詰草亭の主人オマリーが語る「蔦を憎んだ女」
13.サダルメリク・アルハザードが語る「薄命の市(スーク)」
14.アレイスター・クロウリーが語る「木乃伊の夢」
15.オクタヴィア姫が語る「葬列の丘」


 「フィオナが語る『黒い鳩』」

「どうだろう、今夜から一人ずつ、人から聞いたり本で読んだ話ではない、自分が実際に体験した、一番怖い話をする、というのは?」
 ドイルの提案で、「英国心霊研究協会」のメンバーの有志と、同じくそのメイドさんたちと、出入りしている人々の有志が、一夜一人一話ずつ、語り継ぐことになった…

 最初の晩は、たまたま資料を届けに来ていて、明日から二、三週間ほど南仏の海岸に避暑に行く、というフィオナ・ウォーターフォードがすることになった。

 怖い体験ですか? あるような、ないような…
…皆さんもよくご存じのように、わたくしたち貴族の子女は、若い頃一定の期間、義務として社会奉仕というものをしなくてはなりません。男子ならば、一人息子でも兵役に志願したり、女子なら病院に奉仕活動に行ったりします。

 とある病院の小児科で、仲間の令嬢たちとともに看護婦の見習いのようなことをしている時に、婦長が困った顔をしているのを見かけました。
「困ったわ。ポール坊や。変なことを言ったりして…」
「どうしたんですか?」
「病棟待合室にある鳩時計なのですが、『真夜中になると何か恐ろしいものが顔を覗かせる』と言うんです。鳩時計は、夜中はうるさいので朝の七時から夕方の七時までしか鳴らないようにしています。それに念のため、手先の器用な職員に箱を開けて中を見てもらっても、普通の作り物の白い鳩しかいませんでした」
「ポール坊やの心の病では?」
 わたくしは問いました。
「いえ、ポール坊やはそのような病ではなく、それ以外にそのようなことを言ったことはありません」
 そこでわたしは、坊やのシーツを交換に行ったときに、本人にそれとなく聞いてみました。
「あの鳩時計、真夜中になると怖いものが出てくるらしいけれど、一体どんなものが出てくるの?」
「何か、黒いものだよ」
「あなたの見間違えじゃあないの。夜中だし…」
「ぼくもそうだったらいいのに、と思っているよ」
 貴族の娘が真似事でする看護婦の見習い、夜勤を願い出ても却下されて。確かめることはできませんでした。わたくしもそれきり忘れていたのですが、ある晩のこと…

 その夜、わたくしたち父娘はたまたま遠い親戚の葬儀に出席するために、故郷アイルランドのウォーターフォードの屋敷に戻っておりました。屋敷の、長い間誰も使っていない、とある部屋には鳩時計があります。祖父か曾祖父が息子か娘に贈ったものだそうで、ずいぶん年代物の鳩時計です。…ブライディー、あなたはしばらくのあいだ仕えてくれていたので知っていますね? でもこの出来事は、貴女がダブリンの貧救院からうちに来る前の話です…
 ご存じの通り、わたくしは読書が好きで目も固いほうなので、夜半を過ぎても寝床で本を読んでいることが珍しくありません。
 すると、どこかの部屋でかすかに「カァーカァー」とカラスの鳴くような声がするではありませんか。不審に思ったわたしは寝間着のまま起き出して、手に燭台を持ち、鳴き声のしたほうに行ってみました。そこは、例の鳩時計のある部屋で、時計は二十四時五分を指していました。たまたまそばに脚立があったので、ロンドンの病院のポール坊やの言っていたことを思い出したわたしは、時計の針を五十分ほど進めて、二十四時五十八分にしました。
 あと少しで二十五時になり、鳩が飛び出してポーポーと鳴くはずです。一分、一分半… 固唾を呑んで待ちました。
 そして二十五時…

 時計の小窓がパカッと開いて、中から作り物の白鳩ではない、小さな黒い鶏ガラのような生き物が飛び出して、わたしを睨み付けました。悲鳴を上げながら脚立から転がり落ちたわたしはしたたかに腰を打ちました。が、脚立は三段ほどのものだったために大けがはまぬがれました。メイドたちや執事や父上も寝間着姿で走ってきてきてくれました。
 父上は直ちに鳩時計を降ろして中身を改めてくれましたが、中にいたのは普通の、作り物の白い鳩でした。
 その時分、わたしたちはまだカトリックでしたので、ダブリンからシスター・セアラ様が馬車で来てくれました。
「鳩の話は受け継がれる。でもそれは宿命なので人の力では抗えません」 セアラ様は悲しそうにそう言われました。
 ロンドンに帰ってから、風の噂で、ポール坊やが養生叶わず召されたことを聞きました。

 とその時、心霊研究協会の食堂の鳩時計が二十一時を指して、小窓が開いた。ブライディーをはじめ皆は一斉に目をつむるかそらすかしたが、ドイルとデイジーだけは中から出てくるものをじっと凝視していた。
「大丈夫」 ドイルは重々しく言った。
「白い、普通のやつだったわ」
 デイジーは肩をすくめた。

 「デイジーが語る『廃宿』」

「怖い体験? 他の人はいざ知らず、あたし、怖いと思ったことは一度もないし、たぶんこれからもないでしょ」
 デイジーはそう言って、そのまま次の人の番になってしまうかと思われた。

…いえ、でもよく考えたら一度だけあるわ。ホワイトチャペル街の奥まったところに、とても古い曖昧宿があったの。あまりに古くてボロボロなので、宿泊料も休憩料も安かったんだけれど、ほとんど誰も行かなかった。二階に上がる階段も腐りかけていて、誰かが踏み抜いて怪我をした、という噂が立ってからはますます誰ひとり行かなくなって寂れていた。さすがにそんなところでは雰囲気も何もあったものじゃあないでしょうし。
 で、お決まり。ある日とうとう経営者が夜逃げしてしまった。メイドとして雇われていたお婆さんの給金を何ヶ月分か踏み倒してね。お婆さん、かわいそうに気落ちしてポックリ逝ってしまったわ。土地は借りていたか、自分のものであってもとっくの昔に抵当に入っていたと思うわ。
 ホワイトチャペルのその地区にあるちっちゃい子たちが集まって遊んでいた時に、だれかがこんなことを言い出した。
「ねぇ。取り壊される前に、宝探しに行かない? もしかしたら、ベッドの下にコインが落ちているかもしれないし、ネズミが壁の穴に何か貯めているかもしれないよ」
 え? 「言い出したのはあたしだろう?」って、ご想像にお任せするわ。
 その夜、何人かの子供たちが手に手に燭台やランプやカンテラを持って集まった。
「おい、やっぱりやめとこうよ。壁に死体が塗り込められているかもしれないし、ベッドの下だって…」
 別の誰かが言ったけれど、残りは、たまにはまともなものを食べたかったり、たとえ何ペンスかでも自由に使えるお金が欲しかった。半ば這うようにして例の腐りかけた階段を上がり、男の子なんかはナイフを構え前に進んだ。最初は仲の良い者同士三人一組二人一組で行動していたけれども、だれかと誰かがベッドの下で銅貨や銀貨を見つけ出すともうだめだった。「分ける」「いや分けない」と言い争いになって、あとはもうてんでバラバラ…
 あたしは、と言うと、抽斗の奥から汚れたハンケチに包まれた何枚かのつけ爪のようなものを見つけた。
「おいデイジー、これつけ爪にしちゃあずいぶん汚れていると思わないか?」 友達が言った。「…これはつけ爪じゃあないよ。ここに泊まった誰かが誰かから秘密を聞き出すために、あるいは懲らしめるために、一枚ずつ生爪を剥がしたんだ」
 何人かがそれ以上の成果は諦めて家に帰ったけれど、あたしは怖くはなかったわ。たとえ死体を見つけたって怖いとは思わなかったでしょう。本当に恐ろしいのは生きている人間よ。死んだ人間なんか例えどんな姿になっていても怖くないわ。
 でも…
 夜もだんだん更けてきて、仲間の子たちも一人また一人と帰っていった。思ったような収穫を上げていなかったあたしは、気が付くと一人ぼっちになっていた。それでも「明日取り壊し屋さんが来て壊し始める」なんて噂を聞いていたから、(こうなったら夜明けまでねばってやる)と唇を噛んだ。
 それでとうとう、なぜかドアが木の板でX印に打ち付けてある、廊下の一番奥の部屋までやってきた。木の板も打ち付けてある釘もすっかり腐っていて、子供のあたしでも簡単に引き剥がすことができた。
 中は、ほとんど物がない、埃が積もり蜘蛛の巣が張っただけのガランドウの部屋で、金目のものなんか何もありそうになかった。
(どうしてこの部屋だけドアも窓も打ち付けてあったんだろう?)
 不思議に思ったことを覚えているわ。
 さすがのあたしもとうとう諦めて、お義母さんの家の窓から帰って毛布をかぶって寝た。

 ところがそれはそれで終わらなかった。
 一緒に「探検」に行った男の子が一人、家に帰っていなくて、そのまま行方不明になってしまったの。お巡りさんがみんなの家に来て、わたしたちは全員、親からこっぴどく叱られた。
 建物は、警官隊が入念な捜査を行った後で、慎重な上にも慎重を期して少しずつ取り壊された。
 いなくなった子のご両親や兄弟たちが現場に駆け寄ろうとしていたのを、人々が必死で取り押さえていたのをいまでも覚えているわ。
 でも、その男の子はいまだに見つかってはいないの…

 「ウォーレス博士が語る『猩々』」

「実際に体験した怖い話だって? そりゃああるよ。わしもこの年だし、何度も南洋に探検に行っとるからね」
 ウォーレス博士は、慎重に言葉を選びながら訥々と話し始めた。

 わしの学者仲間で、猿のことに詳しい…仮にジャックとしておこう…ジャック博士の隊が、とある南洋の島で、非常に珍しい猩々の子供を捕まえた。
 その島の原住民たちは、口々に
「この猩々は、この島の守り神である。だから、この猩々の子供だけは逃がしてやってくれ。他の猿や動物は、いくら捕まえてくれても構わないから」
 と言って哀願した。が、功名心にはやるジャック博士は聞く耳など持たない。
 早速、翌朝ヨーロッパに戻る船にその猩々の子を積み込んだ。もちろん、厳重に檻の中に入れて。
 で、ジャック博士は(この猩々は明らかに新発見の新種だ。この子を連れて帰れば、自分の学者としての地位も、十分に上げることができる)と思って、自身もその船に乗って、とりあえず一度英国に帰ることにした。
 と、その夜、荷造りをしているところに、原住民の長老が訪ねてきて、
「あなたに見せたいものがあるから、一緒に来てくれ」と言った。
 案内された先は彼らが祭祀や儀式を行う洞窟だった。そこの壁には、太古の人類が描いた動物や人間の絵がいっぱいあったらしい。 長老は、そのうちの一つを杖の先で指した。 そこには、身体の大きさに対して非常に手の長い猿が描かれていた。壁の一角にはその猿たちが長い手をまるでブランコの紐のように駆使して木から木へ飛び移ったり、遠くにある果物を楽々とつかんだりしている様子が描かれていた。
「この猿たちは、あなたがたが持っている巻き尺のように、魔法を使っていくらでも両手を伸ばすことができる。また、一説によると同じように首も伸ばすことができると伝えられている。だから、あなたがあの猩々の子をどんなに遠い国に連れて帰ったとしても、彼らはきっと取り戻しに来るだろうし、下手をするとあなたの命だって危ない。だから悪いことは言わないから、あの猩々の子だけは置いていきなされ」
 長老はそう忠告したけれど、ジャック博士はいうまでもなく「無知蒙昧な迷信」と一笑に付した。
 船は予定通り出航した。
 だが、多くの野性の動物がそうであるように、その猩々の子は、船が島から離れるにつれて次第に餌を食べなくなり、ついには病気になってしまった。
「頼みます旦那、他のことは何でも言うことを聞きますから、この子だけは、次の港で島に戻る船に乗せて帰してやってください」
「でないと、このままだと死んでしまって元も子もなくなってしまいます」
 肌の色の黒い下級船員たちが土下座をして頼んだ。
 ジャック博士も内心焦り始めていたものの、(なあに、もしも万一死んでしまったとしても、剥製にして持ち帰れば大発見であることに変わりはない)と居直った。
 慣れない長い船旅、猩々の子は何日も苦しんだ末に、とうとう息を引き取った。ジャック博士は船の中で剥製に加工し、まるで生きているかのように自らの船室に飾った。
 そして、いよいよ明日はリヴァプールの港に着く、という前の晩…
 その夜はものすごい嵐となった。船は決して小さくはなかったけれども、木の葉のように揺れて、予定されていたいろんな催しは全て中止となって、ジャック博士もほかの乗客たちも、ほとんどが自分の船室にひきこもっていた。
 と、ジャック博士の船室のドアの下から、塩水が流れ出していた。
(おおかた船窓を閉め忘れていたのだろう)
 そう思った船員がノックしてみたが応答がない。おまけにその塩水に何か赤いものが混じっている…
 仕方なく合い鍵で開けて中にはいると…
 ジャック博士はちゃんとその船室にいた。
 ただし、その首から上は、何か猛獣に食いちぎられたか引きちぎられたみたいに無くなっていて、あたり一面血の海だった。
 最初は船窓が開いて風雨が吹き込み、波が入り込んでいたので、ジャック博士は何かの拍子に開いてしまった船窓を閉めようとして鮫にでも襲われた、と思われていたのだが…
 博士が大事に飾っていた猩々の子の剥製が何処ともなく消え去っていた。
 後日改めて、その南の島の猩々の学術調査に赴いた別の隊が写した写真には、母親の猩々に抱かれたまま、同じ姿勢で一向に動こうとしない猩々の子が、何枚も写真に写っていた。その子供の猩々は、何か毬のようなものを手にしていたと言う。

 「ポピーが語る『山師の茸』」

 もと偽ブライディー・ミレディのメイドで、いまは「英国心霊研究協会」の三人目のメイドさんとして働いているポピーの番になった。

 あたしが生まれた村は、フランスとスイスを隔てる山間で、村の人々は主に牧畜に携わっています。絵に描いたような、貧しいけれどのどかで平和な村なんですけれど、そんな村にも一攫千金の話はありました。
 それは癌に効くという幻のキノコです。
 むかしは、谷間の断崖に生えていたらしいのですが、噂を聞きつけた藁にもすがりたい人々の手によって取り尽くされ、絶滅した、と思われていました。
 あたしもよく知っている…仮にシャルルとしておきましょう…山に分け入って水晶や琥珀などを集める仕事をしている青年の妹さんが、お医者様に首を横に振られたんです。「いまの医学では、もう手遅れだ」と。
 その日からシャルルさんは「ダメでもともと」と、その幻のキノコを探し始めました。もとより、植物・薬物学者さんたち、山師、地元の人々も「折りあらば」と血なまこになっているキノコです。そんなものがおいそれと見つかったら誰も苦労はしません。
 ところで、シャルルと妹さんには不思議な力がありました。
 兄妹同士に限られてはいましたが、まるで手紙か電報みたいに、どんなに遠く離れていてもお互いの気持ちを伝え合うことができたんです。
 さて、シャルルさんは、そのキノコを見つけました。どこでどんなふうにして、というのは分かりません。とにかく見つけたんです。それでさっそく妹に、超能力を使ってそのことを伝えましたが、妹からの返事はとんでもないものでした。
「お兄ちゃん、どうかそのキノコを持って帰らないで。いま村にはドイツ帝国や、フランス共和国や、ほかの大国の代理人や大きな製薬会社の代理人たちが大勢押し寄せていて、お兄ちゃんや、いわゆる山師さんたちが幻のキノコを手に入れて持って帰ってくるのを虎視眈々と待ちかまえています。みなさん、何とかそのキノコを栽培養殖して、科学的に効能を確かめるつもりなのです。とてもわたし一人のために使うことなどできはしません」 シャルルさんは呆然としました。せっかく苦労して見つけたというのに、妹さんに飲ませてやることができないんです。また、その頃には妹さんの容態もかなり悪くなっていて、こっそりと家の外というか村の外に連れ出して、というのもできなくなっていました。
 考えているあいだにも、手にしたキノコの鮮度はどんどんと落ちていきます。
 外国や企業からの買収話は断れても、自国フランスのアカデミーの「ここで妹さん一人を救うか、それともこれから同じ病に苦しむ大勢の人々を救うか、どうなんだ?」などと言われたら、もうどうしようもありません。でもシャルルさんは、愛する妹さんを救うために頑張って探し出したんです。それをどのように使おうとシャルルさんの勝手のはずです。
 思いあまったシャルルさんは、猟銃を構えて憲兵隊に銃口を向けました。
「ここは俺たちの家だ。たとえ借家とは言え、俺と妹の家なんだ。そこをどけ! 道を開けろ!」
 でも、家の中に入ったシャルルさんは、とても悲しい光景を目にしました。
 争いごとが嫌いだった妹さんは、自分で手首を切って死んでいたんです。
 それでもシャルルさんは、取ってきたキノコの汁を、妹さんに口移しで飲ませました。「おい貴様! 気が触れたか? 妹はとっくの昔に死んでいるのだぞ!」
 憲兵隊長は怒鳴るし、学者さんたちはおろおろするばかり。ついに興奮した兵士の一人が無理矢理キノコの汁を奪おうとしました。
 怒ったシャルルさんは天井に向けて猟銃を撃ちました。兵隊たちは反射的に撃ち返しました。隊長の「やめろ! やつを撃ったら、どこでそのキノコを手に入れたか聞き出せなくなるぞ」という叫びを無視して…
 シャルルさんは射殺されました。
 キノコが生えていた場所は、分からないままです。が、村で、愛する人が同じ病に冒された人が、心を込めて祈ると、シャルルさんがその場所を教えてくれるという噂は、いまでもあります。
 さらに、シャルルさんの妹さんの遺体を解剖した学者さんたちが、癌の細胞がきれいさっぱり消え去っているのに驚いた、という秘密の報告書が、アカデミーの偉い人たちだけに会議の時に回された、という噂もあります…

 「クルックス博士の語る『白い凧』」

 英国心霊協会副会長、クルックス博士がゆっくりと語りはじめた。

「むかしは…」などと言うと、いかにも年寄りじみているようだが、わたしがパブリック・スクールの生徒だった頃は、教科書に書いてあることや、偉い学者が論文で発表して世に認められたことでも、本当にその通りなのかどうか、自分の目と手で確かめずにはおられない少年がいくらでもいた。
 かく言うわたしもその一人で、二人の親友とともに、あの有名な「ベンジャミン・フランクリンの凧と雷の実験」を実際にやってみよう、ということになった。だが…

 それは、次第に暗雲が空を覆い尽くしていたある夏の午後のことだった。わたしとアーサーとジョンは、本を参考にして入念に作った凧を持って、小高い丘の上に上がった。
 すでに遠くの空に稲妻が走り、かすかな雷鳴が轟いていた。
 わたしたちは代わる代わる凧を引いて全速力で走って、凧を風に乗せようとした。
 凧は、本の通りに作っていたし、「実験は安全」と保証してあったので、三人は上がりかけては風に乗り切れずに落ちてくる凧にガッカリし、(どうか凧に雷が落ちる瞬間を見られますように)と祈っていた。
 そしてアーサーが凧を引いて駆けていた時のこと…
 突如、白い閃光がきらめき、轟音が轟いた。
 アーサーは鳥打ち帽を飛ばしてその場に倒れた。凧は跡形もなく消滅していた。
 わたしとジョンは顔面蒼白になってアーサーに駆け寄ったけれど、もはや手の施しようがないことは子供の目にも明らかだった。
「早く先生に…」
 わたしが言ったとき、ジョンは凍てつくような目でわたしを睨み付けた。
「落ち着けウィリアム、正直に話すとぼくらは退学処分になるかもしれないぞ。アーサーもそんなことは望んでいないだろう」
「しかし…」
「いいか。凧はアーサー一人が上げていたんだ。ぼくらはアーサーから『そういうことをしようと思っている』と聞かされていただけだ」
 リーダー格のジョンの言葉に、わたしは逆らえなかった。
 アーサーの遺体はその夜一晩雨風にさらされ。翌朝探しに出た人たちによって発見された。

 凧を三人で上げていたことを見ていた者はとうとう誰一人現れなかった。
 ジョンとわたしは同じ大学に進み、ジョンは工学を、わたしは流行りの電気物理学を専攻することになった。
 そんなある雷雨の日、ジョンがずぶ濡れのコートを着たまま、まっ青な顔をして立ちつくしていた。
「ウイリアム、君は魂が電気かプラズマのようなものと考えて、心霊学にも首を突っ込んでいたな」
「ああ、もしも魂というものが本当に存在するのなら、その可能性が最も高いと思っているよ」
「じゃあ、幽霊や亡霊も、電気かプラズマのようなものなんだろうな?」
「うん。それが何か?」
「アーサーが帰ってきた。さっき近くに雷が落ちた時、稲妻に照らし出されるのを見たんだ」
「なんだって!」
 わたしは思わず手にしたペンを取り落とした。
「ぼくらと同じくらいの年格好になっていた。だけども間違いない。あれは確かにアーサーだったよ。復讐に現れたのだろうか?」
「『復讐』って、あれは事故だったんじゃあ?」
「事故じゃあない。あの凧は、ぼくがアーサーが持って走る直前に凧糸に細い針金を仕込んだものにすり替えておいたんだ。いま、ぼくの恋人になっているのは、かつてアーサーの恋人だった女性だ」
 わたしは愕然とした。そんな話はその時までまったく知らなかった。
「なぁウィリアム、助けてくれ。やつを消し去ってくれ。君の専門の放電管か何かを使って…」
「それは…」
 わたしはためらった。わたしは学生の頃からずっと霊や不思議な現象に興味を持っていたから、アーサーから恨みを買いたくはなかった。そこで「考えておくよ」と返事した。 いつのまにか空はカラリと晴れ渡り、太陽が輝き、白い雲が流れていた。
「有難う。頼んだよ」
 そう言って建物から出て行ってまもなく、ジョンの身体を一条の閃光が貫いた。
 ふと何気なく上空を眺めると、あの日、わたしたちが代わる代わる走って上げていたあの凧が、上空に消えていくのが見えた。

 「ケリーが語る『勝負肌着』」

 ブライディーの女友達で、ホワイトチャペル街の小さな小屋でモデルをやっていて、ときどき心霊研究協会の勝手口から遊びに来るケリーの番になった。

 いいんですか、あたしなんかがお話しさせて頂いて?

…通りをはさんで、二軒の、若い女の子の「芸術的な」ポーズを見せる小屋があったんです。
 二軒とも大きさも、場内の間取りも、モデルたちの容姿も、踊りも、音楽も木戸銭もほとんど一緒でした。なのに一軒は連日押すな押すなの盛況。もう一軒のほうは半分くらいの入りでした。
 流行っていないほうの経営者は「なぜだろう?」と思いあぐねて、親しい魔法使いの青年に調べてもらいました。
 青年はすぐに帰ってきました。
「分かりましたよ。でも羨ましがる必要はありませんよ。アフリカの奥地から渡ってきた特殊な媚薬のお香を使っているのです。人間の鼻では匂っているようには感じない無臭の香をね。男性の客たちはみんなそれに引き寄せられているのです。この香は非常に高価なものなので、毎日満員でも足が出ていると思いますよ」
 原因が判明しても、経営者の悔しさは止みません。そこでもう一度青年に、
「何とか対抗できる方策はないだろうか?」 と、頼み込みました。
 魔法使いの青年は、幼い頃、この経営者に苦境を助けてもらったことがあったので、しばらく考えてから、さほど大きくない紙箱を取りだして言いました。
「あるものをお貸ししましょう。モデルの子に、これを付けて舞台に上がるように言ってください。…それと一つ、ものすごく重要な注意があります。これはお貸ししますけれど、毎日舞台がハネたら、その都度一枚残らず必ず使いの者に返却して下さい。翌日も必要な時は、朝のうちに届けさせますから。絶対に守って頂けますか?」
 紙箱の中に入っていたのは、若い婦人もののコルセットやスリップやシミーズ、キャミソールやペチコート、ドロワーズなど、どう見ても何の変哲もないものでした。
「これが?」
「使って頂ければ分かると思います」
 経営者は訝しみながらも、それらの衣装を半月ほど公演を依頼していたモデルの女の子に渡しました。その子は
(『貸し』かぁ… くれるんじゃあないのか。ケチ…)
 と心のなかで呟きつつ、身につけてみました。普通のものよりはかなり高級なようですが、見た目は代わり映えのない、レースの飾りのついた白い絹の肌着です。
 不思議なことに、それらの肌着は、最初は自分よりサイズが少し大きく見えたのに、実際に着たり穿いたりすると、吸い付くようにジャスト・フィットしたそうです。
 そうこうするうちに幕が開く時間になりました。いつものショーの始まりです。
 
 モデルの子は舞台の上で額縁に入って、着ていた貴婦人のドレスを、音楽に合わせて一枚ずつ脱ぎ始めました。
 これまたいつものようにおざなりにやっていると、どこからともなく声がしました。
『もっとゆっくり。なるべくお客さんたち全員の目を見渡すようにして』
 モデルの子はびっくりしたけれど、新人の頃プロンプターで指示されたようなものだろうと納得して、その通りにしました。
『もっと気を持たせて。容姿や、衣装の中にあるものなんて、そんなに大差があるわけじゃあないんだから、見せかたや仕草で工夫するしかないんだから』
 ムッとしながらも、指示に従っていると、フィナーレではいつもより多い拍手喝采とおひねりが貰えました。
 翌日も、またその翌日も…
 お客は次第に増え、評判も増しました。
 そうこうしているうちにモデルの子はこう考えるようになりました。
(わたしには意中の人がいる。とてもじゃないけれど身分違いの立派な彼… だけど、この肌着を身につけて一緒に食事をしたり宿に泊まれば…)
 そう思ったその子は、見た目はソックリの肌着を買い揃えて返却し、本物は身につけたまま小屋をでました。
 夜更け、返されてきた肌着が偽物であることに気が付いた魔法使いの青年が、経営者のところに飛んできました。
 で、モデルの子とその恋人の行き先を調べたら、なんと、駆け落ちしてアメリカ行きの船に乗っていて、その船は出航した後でした。
「しまった!」
 魔法使いの青年はその場にしゃがんで頭を抱えました。青年は相当な術を操れたものの、鳥に変身して空を飛ぶ術は使えなかったからです。
 翌日、アメリカ航路の客船から、無線電信で痛ましいニュースが伝えられました。
「駆け落ちの若夫婦のうちの妻のほうが、船の中で、夫婦喧嘩の末に夫に殺された」と…
 喧嘩の理由は新聞によって違いました。

 ドッジソン教授が語る『魔女の仮面』

…そう、あれは三十年ほど前、ぼくが友達のヘンリーとともに欧州旅行をした時のことだ…

 コースはドイツからポーランド、ロシアを巡って、フランス経由で帰る予定だった。
 汽車に乗って、ドイツからポーランドに移る辺りでのこと…
 ぼくらのコンパートメントに、十歳とちょっと、ちょうどデイジーくらいの可愛らしい黒髪の女の子を連れた夫人が乗り込んできた。ヘンリーは気を利かせてくれて食堂車に飲みに行った。ぼくは早速、いつも持ち歩いている知恵の輪や、「箱入り娘」のパズルを貸して上げて、女の子と仲良くなったよ。幸い、二人は簡単なフランス語を話すことが出来た。聞くと二人は「街から故郷の村の祭りに合わせて帰省するところなんです」と言った。ひとしきりパズルで遊んだあと、ナディアと言うその子は、
「有難う、お礼にいいものを見せて上げる。ねぇいいでしょう、お母さん」とせがんだ。
「ええ、いいけれど。でも驚かれないかしら?」
 ナディアは、母が網棚から降ろしてくれた旅行鞄の中から、四つ折りの新聞くらいの紙箱を取りだした。紙箱の中からは木を削って作ったと思われるナディアそっくりのお面が入っていた。お面の髪の毛は自分の毛を使っているらしく、相当生々しいものだった。
 彼女はそのお面を上手にかぶった。
(しかしなぜまた持ち主と同じお面が必要なのだろう?)
 そう思って考え始めた瞬間、面は口が耳まで裂け、牙が剥き出し、目は吊り上がり、二本の角が生えた。
 椅子から飛び上がったぼくは心臓が止まるかと思ったよ。
「ごめんなさい」
 ナディアと母親は異口同音に謝った。
「…これはからくり面なんです」
「あたしたちの村の女の子はみんな持っているわ」
「昔、人さらいが跋扈して女の子たちが次々に連れ去られた時に、賢者様が智恵として授けてくれたものなんです」
「今夜はそのお祭りの日で、女の子たちはみんなこのようなお面をつけて、人さらい役の悪魔から逃げるのよ」
「なるほど…」
 ぼくは感心して、当時出版したばかりだった「不思議の国のアリス」の続編のどこかに取り入れようかな、と思った。そして、「こんな珍しい祭りはもう二度と見られないかもしれないから途中下車しよう」とヘンリーを口説いた。
 母娘と一緒に汽車を降りたぼくたちは、二人の手作りの料理のもてなしを受けて夜が来るのを待った。寝台の心配はいらなかった。祭りは夜明けまで続き、ぼくらは翌日、村に停車する汽車に乗り込んで旅を続ければよかった。しかし、そんな祭りにはまったく興味のないヘンリーは、ご馳走をたらふく食べ、地酒にしこたま酔ってしまってそのままソファーでぐうぐういびきをかきながら眠ってしまった。
 ぼくは、と言うとわくわくしていた。手にした燭台やランプに照らし出された女の子たちはみんな可愛くてきれいだった。暗すぎて写真が写せないのがとても残念だったよ。
 人さらいの役は村の男たちなら誰でもなれた。彼らはハンカチやバンダナで顔を隠し、少女たちを追いかけていた。追い詰められた少女は、からくり面の紐を引き、恐ろしい形相になり、それを見た人さらい役の男は驚いてのけぞって退散する、という趣向だった。
 そこで「ぼくも…」と思ってハンケチで顔を隠して少女たちを追いかけ回した。で、面が変化すると腰を抜かし、よろけて倒れたりしてあげた。
 そうこうしているうちに旅の疲れもあって、さすがに眠くなってきた。ナディアはほかの子たちと一緒に、女性たちだけの秘密の儀式に行ったようだった。村の男たちも集会場に集まって賑やかに一杯やりはじめた。
 ぼくは仕方なくナディアの家に戻った。
 見るとソファーで寝ていたはずのヘンリーの姿がない。(厠かな?)と思って覗くと、台所から灯りが漏れている。ナディアのお母さんがこちらに背中を向けて包丁で何か肉のようなものを切っていた。ぼくはてっきり、集会所に新たに持っていくための料理を作っているのだと思った。
「あの、すいません奥さん、ヘンリーを知りませんか?」
 ぼくはおずおずと近づいて訊ねた。
 いきなり振り返った夫人の顔は、口が耳まで裂け、牙が剥き出し、目が吊り上がっていた。

 シスター・セアラが語る『海神の城』

 シスター・セアラがヴァチカンとダブリンを往復する途中、ブライディーに祝福を授けるためにために、わざわざ心霊協会の屋敷に立ち寄ってくれた。

…あれはまだ、わたしがダブリンの貧救院で働いていた頃の話です。ブライディー、あなたがまだデイジーよりもずっとちっちゃくて、わたしが、いまの貴女くらいの年頃だった頃のことです…

 シスターの見習いになったばかりのわたしは、年配のシスターのお付きで、海岸沿いにある古びた城跡に向かうことになりました。
 海に面した断崖に残っている城跡には王子と姫の亡霊が彷徨っていて、地元の農漁民たちが決して近づかないところです。
 先輩のシスターは非常に徳の高い、悪魔払いの術にも長けた尊敬に足るかたでした。
 ところが…

 わたしが御する小さな馬車が、霧の森をくぐって海辺へと出ると、そこには結構人がいて、地引き網を引いたり、とった魚を干して干物にしたり、小舟を操って漁に出たりしていました。
「いやあ、シスター様、遠路はるばるご苦労でございます。この村は一種のその『隠れ里』でして、どうかご内密にお願いします」
 長老以下、村役たちはそう言ってわたしたちを迎え、頭を下げました。
「教会はどこですか? まず祈りましょう」 シスターはそう言って、狭い村じゅうを見渡しましたが、それらしき建物はどこにもありません。
「すみません。いま改修中でして…」
「仕方ありませんね。ではこの広場で祈り、祝福を授けましょう」
 シスターは祈り、祝福を授けているあいだ、村人たちはなぜか顔を真っ青にして小刻みに震え、いまにも一斉に逃げ出しそうな様子でした。「では、これより城跡に向かいたいと思います。もしも亡霊がいるようならば、祈りで退散させます」
「いや、実はそれも嘘でして…」
 長老は顔じゅうに脂汗を浮かべながら言いました。
「亡霊の噂は、わしたち気心の知れた者たちだけでここに住み続けるための方便でして…」
「そうですか。するとあの城跡には誰もいないのですね?」
「ええそうです。誰もいませんです」
 わたしたちのために宿が用意され、心づくしの夕餉が振る舞われました。
 わたしはどこでも寝られるたちですので、そのままスッと眠りにつきました。

 ふと目が覚めると、先輩シスターの姿がありません。村はシンと寝静まっているのに、断崖の上の城跡にはチロチロとあちこちにかがり火が揺らめいています。どう考えても亡霊妖怪のたぐいが巣くっているとしか思えず、先輩はそれを確かめに行ったのだ、と確信したわたしは衣服を改め、十字架や聖水を携えて城跡に向かいました。

 そっと近づき忍び寄って階上の回廊の窓からそっと見下ろすと、広間の玉座には王子と姫らしい、立派な見なりの男女が座っています。王子は小さな王冠を、姫はティアラをかぶっていました。昼間会った村人たちも皆、臣下の衣装をまとっています。
 聖水の瓶を開け、祈りの呪文を唱えかけたわたしの肩に、ビシャリと濡れた手が置かれました。
 ビクリとして振り返ると、先輩のシスターが立っていました。
「あの者たちは、太古の神に仕える下僕の末裔です。別段放っておいても害はないでしょう」
 わたしは奇異に思いました。とても正しき神に仕える者の言葉とは思えなかったからです。
 心を澄まし、心の瞳を見開くと、かがり火に映し出された先輩の影は、人間のものではなく、何か魚のような生き物のものでした。 広間に集っている者たちの影も、みな同じでした。
「そうですか。ではこのままにして帰ることに致しましょうか」
 わたしはそう言いながら、あの者たちに人の姿を与えている要(かなめ)を探しました。
 すると、広間の中央に、星形の井戸のようなものがあり、潮の香りのする水がこんこんとわき上がっているのを見つけました。
 わたしも若かったですから、シャンデリアを上げ下げする紐にぶら下がり、神様に祈り、呪文を唱えながら一気に下り降り、海水の井戸に聖水を投げ込んで、十字架で封印しました。
 かのものたちは慌てふためいて井戸に逃げ込もうとしましたが、まばゆい光のため近づけません。仕方なく、みな断崖から海へと飛び込みました。

 数日後、近くの漁村の浜辺に、普段はみかけない、アンコウや海蛇といった深海に棲む醜い魚が多数、浮き袋をはき出した不様な姿で打ち上げられました。そのうちのとりわけ大きい二匹の深海魚の、額からたれ下がった提灯には、見事な王冠とティアラがかぶさっていたそうです…

 「ドイルが語る『瓶の中の虫』」

…ぼくはエジンバラ医科大学を卒業してから一年間ほど、北氷洋の捕鯨船やアフリカ航路の船医として貨客船に乗り組んだことがある。捕鯨船のほうは、もともとその船の船医になるはずだった友達がもっといい勤め口を見つけて、その時、まだ就職先を見つけていなかったぼくに、譲ってくれたものなのだが…

 アフリカ航路の船に乗り組んですぐ、ぼくは特等船室にもう一人、英国の医師免許と医学博士号を持っている三十代の男を見つけた。…仮にスミスとしておこう。スミス博士は大金持ちの郷紳の出で、食べるために働く必要のない結構な身分だった。もちろん医師として病院などに勤務したこともなければ、開業したこともなさそうだった。
 ボーイの話によるとスミス博士は、毎日船室に引きこもり、古代カルタゴの医学について書かれたラテン語の古文書や、あまり知られていないアフリカ航海の探検日誌、それに探検家がアフリカの原住民から聞き書きで書いた現地の風俗についての書物を読みふけっている、とのことだった。

 船が奴隷海岸のあたりにさしかかった頃、船員のうちの何人かが、我々西洋人にとっては未知の風土病にかかって倒れた。ぼくは早速スミス博士の船室をノックして訪ね、伏して教えを請うた。
「ああ、それ、それね…」 スミス青年の船室は、本はもちろん、ホルマリン漬けの奇妙奇天烈な生物の標本で埋め尽くされていた。蛇や蛭や、魚介類、海牛、磯巾着、各種の虫、寄生虫… どれも西洋のものではなく、明かにアフリカにしかいないものだった。
「…それにはこれが効くと思うよ」
 彼はそう言って、植物標本の中から押し花にしたコンゴの密林にだけ生えている羊歯の葉を渡してくれた。「一枚しかないけれど、とりあえずそれだけあったら十分だろう。よく煎じて飲ませるんだ」
 言われたとおりにすると、船員たちは一夜のうちに回復した。現地出身の船員に聞くと、その羊歯の葉は非常に貴重な、すなわち高価なもので、金で買うとすれば、何枚もの黄金が必要なものだった。
 ぼくが真心を込めて礼を申し述べると、気むずかしくて人嫌いであることは間違いなさそうなスミス博士の表情も次第に緩んで、ぽつぽつと語り始めた。
「…医学は、西洋の医学だけがすべてではないんだ。中国をはじめとする東洋やアラビア、アフリカの医学の中にも注目すべきものは多い」
「ごもっともです。…ところでこんなことをお訊きしてよいものかどうかわかりませんが、あなたはなぜアフリカの医学に興味をもたれたのですか?」
 しばしの間があった。ぼくは(やはりまずいことを訊いてしまったのかな?)と思った。
「わたしは家族を親戚の男に殺されてね。相手に言わせれば恨みがあった、とのことだったが、どうにも納得がいかなくて。ハイチのブードゥー教か、同じくアフリカ起源のサンタリア(サンテリア)の呪術に、真相に迫れるかもしれないようなものを見かけたものだから…」
 ぼくは、非礼を詫びた。スミス博士はそれ以上は何も言わなかった。
 航海は御難続きだった。嵐には続け様に遭う、積み荷は腐る、病は流行る、もめ事は頻繁に起きる…
 結果、誰からともなしに、次のようなことが囁かれ始めた。
「これはきっとスミス博士のせいだ」
「博士が研究しているアフリカの呪術の祟りに違いない」
「博士自身はよい人でも、集めている不気味なものが原因になっているのかもしれない」
 過激な船員や船客たちが、手に手に銃やナイフを持って博士の船室に押しかけた。
「スミス博士、まことに申し訳ないが、この船室にある異様なものを、すべて海の中に捨てさせてもらう」
「何を莫迦なことを言う。これらの収集品がどれだけ貴重なものか、君たちには分からないのか?」
「ああ分かりませんね。それ、みんなやってしまえ!」
 人々がなだれ込もうとした時、博士は手にした拳銃で連中を撃った。もちろん人々も撃ち返した。瓶は砕け、ホルマリンが流れ出て臭いが立ちこめ、中に保存していた生き物の標本は床に叩きつけられた。
 最初に発砲したとは言え、スミス博士は半ば私刑同然に射殺された。
 ぼくは博士が撃った弾丸で怪我をした船員たちの傷の手当てをするはめになった。中には急所に命中していて、正直(これは助からないかもしれないな)と思う患者もいた。
 弾丸を取り出そうとして麻酔をかけ、傷口を覗き込んだとき…
 何か蟯虫か条虫のような、半インチほどの灰色の虫が、チラリと見えて、そして消えた。
 後日、酒の席でそのことをふと漏らすと、スミス博士の遺体の始末をした男がぼくの耳にこっそりとつぶやいた。
「博士の亡骸も虫だらけでしたよ。あっしは最初『暑いから、たちまち蛆がわいたんだろう』と思っていたんですが…」

「ブライディーが語る『雪の中の母子像』」

 シスター・セアラ様が立て続けにいろんなお手柄を立てられ、ダブリンからヴァチカンに召命されて旅立たれてしばらくしてからの頃の話です。

 ある寒い朝、貧救院の軒先に、また一人の赤ん坊が捨てられていました。赤ん坊はフランスふうのとても目鼻立ちの整った男の子で、その容姿の端麗さはほかの赤ちゃんたちと比べても群を抜いていました。
「ブライディー、この子はルネと名付けましょう。貴女が責任を持って世話をしてあげなさい」
 院長先生に頼まれたわたしでしたが、ほかの若いシスターたちや女の子たちが代わる代わるルネを抱いたりあやしたりしたがるものでしたから、本当に楽な役回りでした。
「本当にかわいい子ねぇ」
「イエス様も、幼子の頃はこんなお子だったのではないでしょうか」
「この子の親は、どうして捨てたりしたんでしょう」
 とある孤児の女の子がルネを抱いて子守歌を歌いながらあやしている時のこと…
 たまたま貧救院に子守を雇い入れに来られていた若いご夫婦が、その子を見てすっかり気に入り、住み込みで雇って頂けることになりました。
 また、別の見習いのシスターがルネを連れて近所に使いに出た時のこと…
 里帰りをしていたアメリカの青年将校にみそめられたんです。
「ぼくが探し求めていた人は、ああいった家庭的な人なんだ」と。いわゆる「一目惚れ」です。それは彼女のほうも同じで、院長先生はすぐにその子を還俗させて、しばらくしてから結婚式をあげさせました。
 さぁ、そうなるとルネ坊やはひっぱりだこです。幸せ薄い女の子たちや、自ら信仰心に燃え立って見習いのシスターなんかになったのではない子たちは、奪い合うようにしてルネ坊やの世話をしたがり、胸に抱いて外に出たがりました。
 ルネ坊やの奇跡は途切れることなく続き、多くの子たちが良い働き口を得たり、良縁で結ばれたりしました。
 ところが、とあるクリスマスも近い寒い雪の夜のこと…

 わたしが玄関の飾り付けをしていると、一人の痩せた若い、きれいな女性が訪ねてきました。
「何か御用でしょうか?」
「あの… ごめんなさい。わたし、ここの軒先に赤ちゃんを捨てた母親です」
 彼女はその日の日付と、着せていたおくるみの色柄を言いました。間違いなくルネのお母さんでした。
 わたしは食堂に駆け戻って叫びました。
「みんな、ルネのお母さんが来られたわよ!」
「何ですって!」
「それは本当?」
 その日は院長先生は旅に出られていてお留守でした。
「いまごろになって勝手だわ」
「ルネはわたしたちで育てましょう」
「返したところで、またしばらくしてから別の孤児院の前に捨ててしまうのに違いないわ」
 衆議一決、ルネ坊やはすでに、とある、どこの誰かは分からないお金持ちにもらわれていったことにしよう、ということになりました。
 わたしがそのことを母親に告げる役に決まりました。とても嫌な役回りです。
 で、声を少し震わせ、うつむきながら言いました。
「そうですか。仕方ありませんね…」
 お母さんはとても悲しそうな顔をして立ち去りかけました。
「待って下さい、実は…」
 わたしは我慢できなくなって手を差し伸べました。けれど、その時にはもう、お母さんは雪と闇の先に消えていました。もちろん追いかけましたけれど、見失ってしまいました。

 ルネ坊やは、その冬に流行り風邪を引いて、手当のかいなく召されました。同じ流り風邪でほかの多くの子たちとお年寄りたちも召されました。
 女の子たちや見習いのシスターのうちの何人かも召されて、わたし自身も生死の境を彷徨いました。熱にうかされている時、たぶん後悔していただと思います。お母さんに抱かれたルネ坊やの夢を見ました。夢の中のお母さんの一言がいまでも耳の底に残っています。
「…貴女は『待って下さい』と言った。わたしも貴女を待って上げましょう」…

「『お兄ちゃん』が語る『目の良い沖仲仕』」

 ブライディー、元気かい? ぼくは元気でやっているよ。ここ、アメリカのニューヨークでも、いろんな仕事を転々とした。だけどいまは、大きな食料品店兼雑貨屋で働いている。ご主人はとても親切な人で、俺のことを高く買ってくれていて、そのうち暖簾を分けてくれるようなことも言ってくれている…

「怖い話」? あるよ。あれは俺がリヴァプールの港で沖仲仕をやっていた頃のことだ…

 仲間に…仮にリチャードとしておこう…何でも見つけなくてもいい余計なものを見つけてしまうやつがいた。
 ある時は座礁して乗組員が逃げ出してそのままになった難破船のマストの先っぽ、ある時は武器や麻薬の密輸取引のために「浮き」を取り付けて波間に浮かべられた荷物。極め付きは、殺されて海に沈められたものの浮かび上がってきてしまった死体…
 俺たちはリチャードが波間を指さして「あ、あれは何だ?」と言うたびにビクッと縮み上がったものだった。

…その日、俺たちが遙か香港や横浜まで航海をしてきた貨客船から、貨物や荷物を少しずつ積み降ろしていると、またリチャードが沖合を指さして叫んだ。
「あ、あれは何だろう?」
 俺や友達は慌ててリチャードの身体を抱き、顔を無理矢理その方向から反らせた。
「見るな、リチャード。おまえが見つけるものにろくなものはない」
「頼むから何も見なかったことにしてくれ!」
「しかし、あれは人間。それもまだ生きていて溺れているように見えたけれど…」
 俺は仕方なくリチャードとともにボートを出して、彼が見つけたものを確かめに行った。
 するとそれは、蝋人形のような、マネキンのような、一体の美しい若い女性の等身大の人形だった。
「なんだ、人形か、人騒がせな」
「またおいらみたいなそそっかしい奴が間違えるといけないから、引き揚げておこうぜ」
 リチャードの言うことももっともだったので、俺たちはその人形をボートに乗せ、岸まで持って帰ってきた。
 人形は藻がからまり、かなり汚れていたものの、そのドレスは上等の絹のようだったし、ガラス球の眼もかなり精巧で、素人目にも値打ちもののように見えた。
「おいらが見つけたんだから、おいらのものだ。いいだろう?」
 リチャードは宣言した。もちろん、誰も異論はなく、俺も肩をすくめるだけだった。

 数日後、仕事中に、今度は俺が波間に何かが漂っているのを発見した。ボートを出して確認に行こうとすると、奇妙なことにリチャードが止めた。
「よせよ。おいらの目には何も見えないぜ。どうせ無駄足だ」
「それだったらそれでいいから、確認してくる」
「じゃあ、おいらも一緒に行く」
 今度もまた人形だった。それもハンサムな青年の。
「仕方ない。またまた間違える奴がいたら困るから引き揚げておくか」
 俺が言うと、リチャードは猛烈に反対した。「そんな必要はない。このままにしておけばすぐに沈むだろう」
「そうかな。それだったら最初から沈んでいるようにも思うけれど」
 リチャードは渋々引き揚げを手伝った。人形は今度も立派なものだったのにも関わらず、リチャードは「欲しい」とは言わず、ほかの流木と一緒に岸壁の一角で焼かれた。

 それからさらに何日かたったある日、リチャードがふいに出てこなくなった。それまで一度も無断で仕事を休んだことはなかった奴だったのに、だ。
 いつものように荷役作業をしていた俺が、何気なく沖合のほうに目をやると、人影のようなものが漂っているのが見えた。
(またかよ)
 そう思った俺が、同僚に断ってボートを出そうとすると、一人の貴婦人が近寄ってきて俺に何枚かの金貨を差し出して、逆らいがたい口調でこう言った。
「その必要はありません」
「しかし…」
 その貴婦人の顔に見覚えがあった俺は、背筋に寒気を感じて、それ以上は逆らえなかった。貴婦人もリチャードも、それから二度と会っていない…

「白詰草亭の主人オマリーが語る『蔦を憎んだ女』」

 ブライディーとデイジーが一時住み込みで働いていた、アイリッシュ・パブの主人オマリーが、久しぶりに、二人の働きぶりを確かめるために心霊研究協会の屋敷を訪れた。

…「怖い話」ですか? あっしも長年こういう商売を営んでますから、時たま、ゾッとするような噂を聞きますよ…

 ロンドンの、とある閑静なお屋敷町の一角に一人の身寄りのない老婦人が住んでいたそうです。老婦人の屋敷は、一面蔦に覆われて、ご近所からは「蔦屋敷」と呼ばれてました。
 病におかされ、先が長くないと悟ったその人は、弁護士や探偵を雇ってようやく遠縁の勤め人の青年を見つけ出し、財産と屋敷を青年に譲ることにしました。条件は「屋敷を売却しないでそこに住むこと」「いまいる使用人をそのまま雇い続けること」と「蔦を大切にすること」の三つだったそうです。青年は降ってわいたような幸運に喜んで一も二もなく条件を呑み、少しの荷物を持って引っ越してきました。

 さて、青年は独身だったんですが、そういうことで身の回りが急に華やかになりました。で、ツイていないことに、財産だけが目当ての半ば詐欺師みたいな女にひっかかってしまったんです。女はずっと、そういうことばかり繰り返してきていて、今回も抜け目なく青年を愛しているような芝居を演じ続け、結婚まで漕ぎ着けました。「しめしめ」といったところでしょう。女は妊娠しましたが、お腹の子は青年の子ではありませんでした。

 ある夜、女はせり出たお腹のせいで足下を見ることが出来ず、たまたま玄関の階段に這っていた蔦の茎に足を取られて転んで落ちそうになりました。
 女は激怒して、それまでずっと勤めていたメイドをクビにし、夫に「屋敷じゅうの外壁に這っている蔦を処分してくれ」と頼みました。
 女に騙されていることを知らない青年は悩みました。蔦を大切にすることは老婦人との約束です。しかし、今度また似たような事故が起きたら…
(安全には代えられない)そう思った青年は、そういうことを専門にしている庭師に「屋敷じゅうの蔦を取り去ってくれるように」頼みました。ですが依頼された庭師は、「あまりにも見事な蔦なので、これはこのままにしておかれて、足下を注意されたほうが…」と答えました。二人目の庭師も、三人目も…
 業を煮やした女は、お腹の子の本当の父親である愛人の男に「夜中にこっそり、蔦を根本のところで切断して欲しい」と命じました。女から分け前をもらっていた男は、早速その通りにしたものの、しばらくたっても蔦はまったく枯れる気配がありません。
 今度は、青年が仕事でしばらく出張しているあいだに、その男に蔦を引き剥がしてくれるように頼みました。
 高いところでの作業などまったく経験がなかった男は、それでも渋々命綱を付けて、作業に取りかかりました。ところが、最初の一本を引き抜こうとした途端に、なぜか命綱が切れて、男は落ちて死にました。
 女の怒りは頂点に達しましたが、まさか自分で作業を行う訳にもいかず、どうしようもありませんでした。
 とある晩、二階の寝室で寝ていた女が首筋に何かがチクチクと当たってくすぐったいので目を覚ますと、ほんの少し開いていた窓の隙間から伸びてきた蔦の茎が、喉もとに当たっていました。
 びっくりした女は飛び起き、思わず取り乱して階段を降りようとして何かに蹴躓いて転んで落ち、首の骨を折って死にました。
 青年はいったんは悲しみに沈んでいたそうですが、亡き妻の遺品を整理していると隠し戸棚から、妻と男が取り交わした手紙が出てきて、それには「いつか機会をみて、青年をなんらかの方法で殺して乗っ取ろう」といったようなことが書かれていたので、驚くやら、ホッとするやらしたそうです。
 青年は…いまは中年になっているでしょう…クビにしたメイドを雇いなおして、蔦屋敷に住み続けているそうです。その後、再婚したかどうかまでは知りませんです。

「ソーホー街のアラビア語の書籍の本屋の少年手代サダルメリク・アルハザードが語る『薄命の市場(スーク)』

 ソーホー街に新しくできたアラビア語の書籍を専門に扱う本屋の、十代なかばの肌の浅黒い、しかし賢そうな黒い瞳をしていてハンサムな店員のサダルメリク・アルハザードが、心霊研究協会の、アラビア語が堪能な某会員の注文に応じて、白い寛衣に頭布姿で本を配達に来た。
 彼のところに月に一度か二度、魔法を教えて貰いに行っているデイジーは、張り切って豚肉を使わない賄い料理を作った。

「アルハザード」の名を継ぐ者の辞書には「怖い」という文字などはありません。がしかし…

 そう、あれはぼくがアラビアの「無名砂漠」にいた頃です。とあるオアシスで、奇妙な市場が開かれているのに行き当たりました。
 宝石、宝飾品、衣装、家具類、絨毯とかが売られている、一見したところは普通のスークなのですが、どれも普通の相場よりも倍は高いのです。例えば、豆粒ほどのダイヤが、金貨百枚とするなら、そこの出店では金貨二百枚で売られていました。
(こんなに法外な値で客が来るのか? 売れるのか?)
 不審に思って周囲を見渡すと、いかにも「金持ち」といった客たちで賑わっていて、おまけに品物が結構売れているではありませんか。ぼくは率直に訊ねました。
「どうして相場の倍はする品物を買うのですか?」と。
「おや、おまえ知らないのか? ここは『薄命の市場』だよ。ここで売られている品物は、全部呪いがかけられていて、短い時間で形が崩れてしまうんだよ。たとえば、ダイヤでも『買ったときは本物』なんだが、ものの一ヶ月もするとヒビが入って砕けてしまうのさ。手切れ金を脅し取ろうとする悪女なんかに、最後の贈り物として贈るために少なくない需要があるんだよ」
(ふうん。世の中には物好きな人々もいるのだな)
 口には出さないものの、そう思ってあたりをうろうろしていると、十六、七歳の、可憐な異国の女奴隷が、ヴェールもなしに売りに出されていました。
「この子は?」
「おや、若旦那、あなた相当の使い手ですね。だったらお分かりでしょう?」
 店主の、鼻も両手の爪も鉤のように曲がった老婆が言った。
「どうやらこの子には寿命がないように思うけれど」
「お察しの通りで。憎い敵の男に贈ったら、その寿命が尽きた時、悲しみのあまり後を追うこと請け合いますよ」
 少女はすがるような目でぼくの目を見た。
「分かった。その子はぼくが買うことにしよう。しかし、敵に贈るためじゃあない。ぼく自身が、この子と暮らすために」
「ご冗談でしょう。それだったらこの子よりも安くて元気で長生きするきれいな子が、よその街の市場にいくらでもおりますよ」
「ぼくは客だ。客が商人からちゃんとお金を払って買ったものをどうしようと勝手だろう?」
「そりゃあそうですが…」
 ぼくはその子を連れて帰った。そして一緒に食事をしたり、二人で駱駝に乗って近くのオアシスを巡ったり、星空を見上げたりしました。
 と、ある朝、目が覚めると、傍らで眠っていたはずの彼女の姿がありません。
 天幕の外を見渡すと、彼女は赤茶けた砂丘の頂上に、黒い髪を風になびかせながら立っていました。
「きみが、あの『薄命の市場』の、本当のあるじの魔導師だね?」
「見破られていたのなら、仕方ありませんね」
 少女はポツリとつぶやきました。
「一度や二度なら『興味から』ということもあるだろうけれど、どうしてこんなことを繰り返すんだい? 悲しんでくれる男を見るのが楽しい? 甦るときはどのようにして甦る? 墓のなかで息を吹き返すのかい?」
「実はあたしは、何でも望むものを作り出せるの。宝石でも、宮殿でも、自分の好きな殿方でも。…でも、残念なことに、それはすぐに壊れたり、死んでしまったりするの。そして、あたし自身もその運命から逃れられない…」 彼女は瞳を伏せて言いました。「…一度選んだ姿形は二度と再構築することができず、まったく新しい姿形にしかなれません、ゆえに愛そのものも数日しか保つことができないの」
 その時、ぼくの脳裏に名案が閃いた。
「砂漠の果てにある秘密の宮殿に、新婚の妻を一夜で殺してしまう魔王が住んでいて、周辺で若い未婚の娘がいる家族は恐れおののいているようだ。そこへ嫁いだら、偽の宝石を売って金を稼がなくても、永遠に贅沢ができるし、愛に飢えることもないのではないだろうか?」
 その子はどうやら、魔王の妻として輿入れしたと思う。それからは若い娘がさらわれる噂を聞かなくなったところからすると、彼女は夫に毎晩命を奪われ、翌朝には別の姿で甦っているらしい…

「ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学生で、『黄金の暁団』にも出入りしているアレイスター・クロウリーが語る『木乃伊の夢』」

 ケンブリッジ大学の学生ながら、魔術や神秘学に造詣の深いアレイスター・クロウリーが英国心霊研究協会が所蔵している稀覯書を借りに来て、お茶が入った際に話し出した…

 これは、「黄金の暁団」が借りている屋敷のメイドのキーラが話してくれたことなんですが…
 ご存じの通り、キーラはピカデリー広場の近くの見せ物小屋で「ミイラの解体ショー」の助手をしています。ショーは読んで字の如くエジプトから輸入したミイラを棺から出して包帯をほどいていくのだけれど、ここで問題なのは、ショーを気に入って二度、三度と足を運んでくれるお客さんに対して、同じミイラをほどいたり、同じ曰く因縁の物語を語ったりはできない、ということです。
 どんなに劇的な物語でも、何回も繰り返して聞かされれば飽きてしまいます。
 楽屋には、ミイラが何体か用意されていて、ショーが終わると、また丁寧に包帯を巻き直して次の出番に備えるそうです。また、まったく同じミイラに対して、数種類の、多いときは十数種類の物語が用意されていて、幕が開いたとき、客筋を眺め渡してから「きょうはどの物語を語ろうか?」と決めることもあるそうです。

 その頃、ショーは流行っていて、木戸銭の上がりも良かったものですから、数日おきに新しいミイラが買い入れられました。包帯を外したり、また巻きなおしたりしているうちに、手や足や、ひどい時は首がもげてしまって使い物にならなくなる分も出てきます。そういうのは「にかわ」でくっつけて、古物商に安く売り飛ばされます。新たに買い入れたミイラについて、波瀾万丈の物語を作るのは助手やアルバイトの役目でした。王様、お后、王子様、お姫様、大神官… さきほども言った通り、同じミイラが王様になったり、王子様になったり、大神官になったりする訳です。
 いわく因縁話は、最初のうちは象形文字を翻訳した、本当の「エジプト古代王朝物語」から史実に忠実に、また面白い部分をつなぎ合わせて作られました。もちろん、語られながら裸にされているミイラが物語りの主人公本人、ということはまったくありません。あくまでも「それらしきもの」というだけです。
 さて、ショーが繰り返されているうちに、脚本のほうが枯渇してきました。そこで、作家志望の学生を雇って、それらしい話を書かせ、出来の良いものだけを買い上げることにしたそうです。とにかく、小一時間、観客を退屈させないだけの「お話」を…
 その時、たまたま仕入れられたのは、青年の王子のミイラだったそうです。雇われた学生は、一生懸命考えて、何種類かの話をでっちあげました。曰く、
「皇位を狙う悪い叔父に暗殺された悲劇の王子…」
「恋人の王女を残して戦争に出かけたものの非業の最期を遂げ…」
「本物の王子の身代わりとして生きながらにしてミイラにされた影武者…」
 しかし、どれもこれも「公演済み」の「何度も聞いたことのある」話ばかりでした。
 さぁ、困ったことになりました。翌日の開幕までに、なんとか気の利いた話を作らなければなりません。ついでに言うと「一話」では不足で、同じミイラに対して「できるたけたくさん」の物語があるに越したことはないのです。
 問題のミイラが置いてある楽屋で必死で考えていた学生は、睡魔に負けて眠ってしまいました。
 と、夢の中に、きらびやかな衣装を身につけ、王錫(アンク)を手にし、黄金の頭巾をかぶり、長い付けひげを付けた少年王が現れてこう言ったそうです。
「余は、忠義を装った謀反人どもに暗殺されたのだ。余の包帯をはずして見たら、左の胸や背中、それに右の脇腹などに無惨な切り傷や刺し傷があるであろう…」
 ハッと目を覚ました学生が、いま見たばかりの夢を紙に書き留めた頃には、東の空がしらじらと白んでいました。
(しかしこれでよいのだろうか?)
 彼は悩みました。一度も包帯を剥かれたことのない、いわば「新品」のミイラ… 生演奏の中東ふうの音楽に合わせて「博士」が語りながら、助手が包帯を剥いていって、もしも台本通りの傷がなければ、観客から失笑を買ってしまうだけです。ですが時間はなく、もうその台本で決行されました。
「裏切り者が右の脇腹に一突き!」
 だんだんと大きくなる小太鼓に合わせて「博士」が語り、助手がその部分の包帯をはずすと、そこにはまさしく刺し傷がありました。
「おおー!」
 観客からは思わずどよめきが漏れます。
「信じていた臣下が背中をバッサリと…」
 背中を剥くと痛々しい切り傷が現れました。
「おおー!」
「そして、最後に腹心と信じていた者が、胸にグサリと…」
 博士が小道具のエジプトふうの飾りの付いた短刀で刺すまねをしたちょうどその時…
 ミイラが両手を上げ伸ばし、片足を踏み出して、「博士」の首を締め上げたそうです。助手は悲鳴を上げ、観客は蜘蛛の子を散らすように逃げ出しました。
 警察や学者は、「こわばり、乾燥してカチカチに固まっていたミイラが、何千年の時をへて、再び外気に触れたせいではないか?」と言っていますが…

「オクタヴィア姫が語る『葬列の丘』」

 ブライディーに顔と姿がそっくりで、時々身代わり…とは言っても、自分がメイドに扮して明白に悪事を働いている黒魔術師を成敗しているあいだ、おとなしく寝所で寝ている役…をブライディーに頼みに来るオクタヴィア姫が、またしても心霊研究協会にお忍びでやってきた。

…みなさんの中にはわたくしが、どうしてこんなにまで悪の黒魔術を憎むのか、不思議に思っておられることも多いと思います。…よい機会です。今夜はその訳を簡単にお話申し上げましょう…

 わたくしには姉が一人おりました。名前はヴァイオレット。わたくしが知るほかの誰よりも聡明で、…そう、フィオナよりもまだ賢く、辛抱強く、優しい姉でした。わたくしたち姉妹は両親を早くに病気で亡くし、親戚の貴族の家に引き取られて育てられました。
 親戚一同は、姉が早く結婚して男の子を産んで、お家を再興することを心待ちにしていましたが、姉の考えはまったく別のところにありました。
「ねぇ、オクタヴィア。どうしてわたしたち人間は、不老不死を願ったり、亡くなった人の復活を願ったりしてはいけないのかしら?」
 ある夜のこと、姉は真顔でわたくしに訊ねました。
「それは… 生きとし生けるものの運命は、神様の思し召しだからよ」
「本当にそうかしら?」
 わたくしは息を呑みました。昔なら異端審問にかけられて火焙りの刑に処せられても文句は言えない言葉です。
「私には、もの凄く賢い人間が現れて、文字通り神様のように振る舞ったら、本物の神様困るから、としか思えないわ」
「ヴァイオレットお姉様、お願いですから、そのような恐ろしいことを仰らないでください」
 しかし姉はわたくしの忠告を聞き入れませんでした。家庭教師を何人も雇ってギリシア語やラテン語や、ほかの古い外国語を猛勉強し、図書館の本を読みあさり、それに飽き足らなくなると貴族の特権を利用して禁書にも手を出し、男装してほうぼうへ出かけたりもしました。
 養い親の別荘からそう遠くない丘に、近隣の共同墓地があるのですが、姉が別荘の二階の窓から、蟻たちの列のような黒い葬列を見た日の夜更けには、メイドたちに見つからぬように二階の窓から木を伝って降り、一人で墓地へ行って術を試していたようでした。
 わたくしはと言うと、幼かった割には至極冷静でした。
「ヴァイオレットお姉様、まず虫か蛙か、小さなもので試してみられたらどうですか? いきなり人間なんて、できるわけないありませんわよ」
 そう言ってみたこともあります。姉はわたくしの忠告を容れて、小さな生き物で実験を繰り返していた時期もありました。が、もちろん成功したことは一度もありませんでした。そしてまた、丘の上にかすかに葬列を見つけた夜は、必ず出かけてしまうのでした。
 ある嵐の近ずいている雨の日、わたくしたちは二階の窓から葬列を目撃しました。
「お姉様、今夜は行かないでね。風邪を引いてしまいますわ」
 わたくしは姉のドレスの裾を引っ張って懇願しました。でも姉はやはり、夜更けになると出かけてしまいました。
「虫の知らせ」というものでしょう。その夜に限っていつにない胸騒ぎを感じていたわたくしも、ゴム引きのレインコートを来てカンテラを片手に、少し離れて姉の後ろ姿を追いました。
 墓場の、ま新しい墓石の前では、姉が一心不乱に呪文を唱えていました。けれど…当たり前のことですが…死者が蘇るような気配は一向にありませんでした。その代わりに、いつのまにかどこからか、背の高い、痩せた人影が現れて姉の傍らに立っていました。姉がその人と親しげに言葉を交わしていたところからすると、かねて旧知の間柄だったように思います。
 姉は大きく頷くと、その人について行きました。
「お姉さま、どこへ行くの! 行かないで下さい!」
 わたくしの叫びは、折からの激しい落雷にかき消されました。後を追いかけようとしたものの、ぬかるみに足をとられて転んでしまいました。
 姉の姿を見たのは、それが最後になってしまいました。もちろん、「貴族の娘」ということで大々的に捜索が行われましたが、まるで神隠しに遭ったかのように、行方は杳としてしれませんでした。
 さらに、不思議なことがもう一つ。その日葬られた死者の遺体も消えていました。「念のために」と警察が墓を暴いたのですが、棺の中はからっぽでした。官憲が掘り返す前に、誰かが掘り返した跡はまったくなかった、というのに…

 わたくしが、皆様からご覧になって無茶と思われることを続けているのも、姉の行方やそれを知る人を突き止めることができれば…と思っているからです。

     (次のエピソードに続く)





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